《(京セラの)製販会議では話しの中のいろいろな問題をそのつど取り上げて、(稲盛氏から)厳しく教育される。営業課員の一人が製造部長に、「その品物はいつできますか」と尋ねたら、部長は、「何日の目標でやっています」と答えた》

《稲盛はこれを聞くやいなや、叱りつけた。「何故何日までにやりますと答えられないのか。せめて何日の予定ですと言わないのか。「何日の目標でやっています」との答えの中には、できなかった場合、目標だったがこんなことが起きたのでできなかったという、逃げの精神が潜んでいる。できなくっても、とっちめられないよう予防線を張っている。そんな精神では納期は守られっこない。何日までにやりますとはっきり答え、逃げられないよう自分を縛りつけ、どうしてもやり通す精神でなければ物はできない。そういう返答をする君自身の心構えから改めねば駄目だ」と戒めた》

 一般的な回答にも見える「何日の目標でやっています」という言葉すら「逃げ」だと断じるのは、稲盛氏が京セラの製造部長の仕事に臨む姿勢に、良からぬものをかぎ取っているからだろう。

 稲盛氏は京セラをただのビジネスの集団ではなく、ある種の運命共同体のような組織にしようと考え、実践していた。その最たる例が「京セラフィロソフィー」の会社全体での共有だ。

 このフィロソフィーにおいて、私たち京セラ社員は運命共同体であり、みんなで戦っていこうという姿勢を示したものであり、社員が挑戦し、それが例え失敗しても大丈夫、安心して仕事に取り組めるようにしようとしていたわけだ。

 最新の経営学の研究でも以下のようなことが示されている。