ルイ・ヴィトンのパリ本社に17年間勤務しPRトップをつとめ、「もっともパリジェンヌな日本人」と業界内外で称された藤原淳氏が、パリ生活で出会った多くのパリジェンヌの実例をもとに、「自分らしさ」を貫く生き方を提案したのが、著書『パリジェンヌはすっぴんがお好き』。著者が言うパリジェンヌとは、「すっぴん=ありのままの自分」をさらけ出し、人生イロイロあっても肩で風を切って生きている人のこと。この記事では、本書より一部を抜粋、編集しパリジェンヌのように自分らしく生きる考え方をお伝えします。
「君のように日仏ダブル・カルチャーを兼ね備えている人材は貴重だ。会社は君を必要としている」
社長に呼び出された翌週、私は会社に残る決意をしました。
社長が「オッケー」を出してくれたにもかかわらず、すぐにチャリティーの仕事をすることが出来たかといえば、そうではありません。私にはまだ、世界規模のプロジェクトを立ち上げるノウハウも人脈もありませんでした。コーポレートPRの仕事もまだまだやり残していました。チャリティーの仕事に専念することができるようになったのは、その数年先の話です。
それでも残る決意をしたのは、今いる場所が将来的に「自分がやりたいことをできる場所」だと判断したからです。そう思うと、「やらされている感」が減り、仕事にやりがいを感じることができるようになりました。
残る決意をした理由はもう一つありました。あの日、社長は私にこうも言ったのです。
「君のように日仏ダブル・カルチャーを兼ね備えている人材は貴重だ。会社は君を必要としている」
「君は変わる必要はない。そのままでいい」
その時、私は涙が溢れそうになるくらい感動したのを覚えています。社長に
「君は変わる必要はない。そのままでいい」
と言われている気がしたのです。
入社してから私は仕事で日本語を使うことはありませんでした。特別日本に関する知識や人脈を問われることもありませんでした。日本人であるメリットを活用する機会は皆無だったのです。周りには日本人であることすら、忘れられていたかもしれません。
周りに受け入れられたい、溶け込みたい、認められたいの一心で頑張ってきた私は
「パリジェンヌらしくなったわね」
そう言われてその目的を達成したような錯覚に落ちていました。けれども、社長のおかげで私はとても大切なことを思い出しました。
私はパリジェンヌである前に日本人だったのです。そしてそれは誇りに思うべきことだったのです。
日本人である私には、私のやり方があるはずです。仕事の進め方、人との付き合い方、自分との向き合い方。ファニーにも、ソフィアにも、そしてミレイユにすら出来ない、自分なりのやり方があるはずなのです。人真似をする必要も、別の人間になる必要も全くなかったのです。
自分は自分でいいのだということがわかった瞬間、私は広報部長が言わんとしていたことをやっと理解することが出来ました。