小説・昭和の女帝#1Illustration by MIHO YASURAOKA

自民党の源流である保守政党の結党資金は、血塗られたダイヤモンドによって賄われていた。敗戦のどさくさに紛れ、巨万の富を手に入れた“永田町の女帝”“右翼の大立者”“たたき上げの総理大臣”が繰り広げる権力闘争! 松本清張でも書き切れなかった「日本の黒い霧」の向こう側――。アメリカの陰謀、強奪、脅迫、ハラスメント何でもありの裏面史を描き切る! (『小説・昭和の女帝』#1)

造船疑獄を巡り佐藤栄作と昭和の女帝が火花を散らす

 与党、自由党(自由民主党の前身)の幹事長である佐藤栄作が、かしこまって座っていた。わざわざ座布団をのけて、畳に膝をついている。

「レイ子さん、今回のこと、何とか収めてもらえませんか。この通りです」

 そう言って頭を下げた。ポマードで固めた黒髪がテカテカと光っている。

 真木レイ子は約束の時間から1時間も遅れて料亭にやってきた。佐藤を待たせるため、普段からかわいがっている大蔵官僚の藤本久人(後の財務大臣)と寿司をつまんでいたのだ。

 藤本は、自分たちを待っているのが佐藤だと知って慌てて踵を返そうとしたが、レイ子はそれを許さなかった。同じ部屋で、総理候補と目される佐藤が土下座している。役人からすれば、素面ではやっていられない状況だ。藤本はレイ子と佐藤に背を向け、やけくそと言わんばかりにコップで酒を飲み始めた。

「今回のことは配慮が足りなかったと……反省しています」

 佐藤の殊勝な態度を見て、ますます腹が立ってきた。運輸次官に上り詰めた後、政界入りし、自由党幹事長にまでなったエリート中のエリートだ。常に上から目線の彼が、心から詫びているとはどうしても思えないのだった。レイ子は17歳も年下で、学歴もない上に、女だった。

 佐藤が謝罪しているのは、ある失言があったからだ。海運会社や造船会社が政界にカネをばらまいた造船疑獄を巡り、レイ子は東京地検特捜部から呼び出された。使途不明になっている360万円の小切手について5時間にわたって聞かれ、うんざりして党本部に戻ると、佐藤から「なぜあなたが使ったことにしてくれなかったの?」と詰問されたのだ。これに、彼女の堪忍袋の緒が切れた。

「あなたとは二度と口を利かないから」

 こう啖呵を切って幹事長室を後にした。なぜ自分が捨て駒にならなければいけないのか、さっぱり分からなかった。佐藤程度の男に、貸しはあっても借りなどがあろうはずがなかった。

 それから3週間ほど佐藤を無視した。実力者のレイ子がいなければ党の資金は回らず、裏の世界やアメリカから思わぬ矢が飛んできてもおかしくない。音を上げた佐藤が、謝罪のために設けたのが、この席だった。

「レイ子さん。何でもプレゼントするから、今回のことは水に流してくれませんか」

「プレゼントなんて要りません」

 佐藤が、陰で自分の悪評を流していることを知っていた。「秘書の分際で代議士を尻の下に敷いている」とか「党の車を使って買い物に行っている」とか、そういった類いの陰口だ。

 エリート主義の男にどうやったら身の程を知らせることができるだろうか――。彼女は思案した。ふと、歌わせてやろうと思った。

「それなら佐藤さん。歌をプレゼントしてくださいよ。本当に反省しているなら、できるでしょ。そうね、『リンゴの唄』をお願いします」

 ぎょろりとした佐藤の目が一瞬、怒りを帯びた。