
【前回までのあらすじ】戦後最大の疑獄、L社事件は、前総理、加山鋭達の逮捕という前代未聞の事態に発展した。長らく加山に縄張りを荒らされてきた「昭和の女帝」真木レイ子は、反転攻勢の策をめぐらしていた。(『小説・昭和の女帝』#36)
追い詰められた加山の起死回生の一手
加山鋭達が逮捕されてから1週間とたたずに、彼にとって極めてネガティブな事件が起きた。
事務所の運転手だった市川正雄が検察の取り調べを受けた後、埼玉県の山中で、クルマに排ガスを引き込んで命を絶ったのだ。
市川は元々、加山の愛人の新藤由紀子がいた神楽坂の芸者屋の運転手をしていたが、本人が結婚するに当たり、体裁の良い議員事務所のほうで使ってもらえないかというので採用した男だった。きまじめな性質が裏目に出てしまった。2日間にわたって検察に絞り上げられたのが堪えたのだろう。自殺の直前には切羽詰まった様子で事務所に電話してきて、「ずっと尾行されています。いまもどこかから見られているんです」と声を震わせていたという。
市川のクルマに乗っていたのは加山ではなく、非正規のカネを扱っていた秘書の窪田敏夫だった。検察はそんな下っ端の運転手からも根掘り葉掘り聞き出そうとしていた。市川の死は、加山事務所にとっては殉職だったが、世間はそうは見なかった。加山が圧力をかけて運転手を死に追いやったという噂まで立つ始末だった。彼は一層、苦しい立場に追いやられた。
捜査の全容が見えてくるに従って、加山は「これはとんでもない国策捜査だ」と考えるようになった。
8月16日、東京地検が加山を起訴した。起訴内容はL社の旅客機の購入に関する受託収賄と外為法違反だった。贈賄側の丸紘物産会長の國井大造らも同時に起訴された。
鬼頭紘太も8億5000万円相当の脱税の容疑で起訴されていた。
不思議なのは、捜査対象が、民間機のポラリスの売り込みだけに限定され、対潜哨戒機P-3Cなどの軍用機については無視されていることだった。
鬼頭の起訴内容も、カネを受け取ったのに税務申告しなかったという単純なもので、そのカネを誰に流して防衛庁の武器調達を動かしたのかは不問に付されていた。対潜哨戒機の調達額は、民間旅客機のそれをはるかに凌ぐ。政治的な重要性も段違いに大きい。加山は、防衛庁による対潜哨戒機の調達に、自民党幹事長の中曽根康弘が関わったとみていた。
どうも検察は、捜査の対象を民需の国民航空、丸紘物産、加山のラインに限定し、防需の鬼頭、中曽根ルートには極力タッチしない方針のようだ。そのような密約が日米の間で交わされているのではないかと、疑わざるを得ないのだった。
総理大臣の三木武夫は、「クリーン三木」などとおだてられ、鼻息を荒くしている。しかし、加山の読みが正しければ、結論ありきの国策捜査にすぎず、とんだ茶番ということになる。しかし、いかに茶番であっても一度、国策捜査のターゲットにされてしまえば逃れるのは難しい。アメリカが糸を引いているとなればなおさらだった。
◇
起訴の翌日、加山は2億円の保釈金を払って東京拘置所を出た。3週間にわたる拘留の後だった。
拘置所前には1000人を超える人びとが集まっていた。加山を応援する者もいれば、非難の声を上げる者もいた。「鋭達御用」と書かれた提灯を掲げ、議員辞職を求めて声を張り上げている一団もいた。
沿道に並ぶ人びとに、加山ははっとして目を留めた。