小説・昭和の女帝#2Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】自由党(自由民主党の前身)の幹事長である佐藤栄作は、造船疑獄で窮地に陥る。彼は、自己保身のために「昭和の女帝」真木レイ子に、罪を被るように依頼。それに激怒した彼女は、佐藤に『リンゴの唄』を歌わせることで屈辱を与えた。総理候補にそこまでさせることができる彼女の力の源泉とは。(『小説・昭和の女帝』#2)

吉田政権の崩壊前夜、車中で交わされた密談

 黒塗りの車が土埃を巻き上げ、西に向かっていた。隣にはレイ子のボスである衆院議員、粕谷英雄が仏頂面をして座っている。

 レイ子は自由党幹部7人が大磯の吉田茂邸に集まる月例会合に参加を許されていた。ベテランの政治家でも入れない党幹部の密談に、36歳の秘書が加わっていたのだ。幹部の秘書で、幹部会に出席できるのは彼女だけだった。

 彼女が永田町で特別な存在でいられるのは、父、真木甚八の威光があればこそだ。甚八はレイ子が議員秘書を始めてすぐの1948年に他界したが、亡くなる直前まで唸るほどのカネを政界にばらまいていた。

 10代で大陸に渡り、日露戦争の前後に命懸けの諜報活動を行った。その働きぶりが満洲軍総参謀長、児玉源太郎の目に留まり、私設秘書として重用された。戦後は国内で、政友会系の議員のために尽力。政界と財界のパイプ役として存在感を高め、1918年の原敬内閣の誕生に大いに貢献した。

 原が暗殺された後も、満州の化学メーカーを経営したり、戦争の前後のごたごたで火事場泥棒的に儲けたりして財を成した。自由党の前身である日本自由党の結党資金7000万円超を用立てたのは甚八だった。

 甚八は若手の政治家がやってくると、札束が詰まったタンスの前に連れて行き、好きなだけ持っていくように言った。これが彼の品定めなのだ。おどおどして少ししか持っていかない政治家は小物と見なされ、逆に、両手に余るほど持っていく者も、欲深すぎるということで失格だった。

 お眼鏡にかない、出世街道を駆け上がった代議士の一人が、レイ子が秘書として仕えている粕谷だ。粕谷は建設大臣などを経て、現在は自由党総務会長を務めている。

 実は、レイ子の力の源泉は父の威光だけではなかった。彼女には現役の後ろ盾がいた。甚八に日本自由党の結党資金を提供し、後に戦後最大のフィクサーといわれた鬼頭紘太だ。結党資金を初代総裁となる鳩山一郎に渡したのは甚八だが、その大部分を供出したのは鬼頭であった。

 鬼頭は、年上の甚八を「真木先生」と呼んで持ち上げていたが、実際の力関係は対等に近かった。それが第二次大戦後、鬼頭のほうが完全に上になった。上下関係が逆転したのは、財力によるところが大きかった。戦時中、大陸でタングステンなどの戦略物資を調達する権限を海軍から与えられ、合法非合法を問わない“ビジネス”で巨万の富を築いていた。