小説・昭和の女帝#33Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「昭和の女帝」真木レイ子の宿敵である加山鋭達が総理に就任した。内閣支持率は60%を超え、加山ブームが巻き起こる。それと反比例するように、レイ子は凋落していた。彼女の唯一の救いは、後ろ盾の鬼頭紘太がアメリカの巨大企業の秘密代理人として息を吹き返していることだったが……。(『小説・昭和の女帝』#33)

政界を揺るがす米航空機メーカーの汚職事件が幕を開ける

 1970年代は、レイ子にとって節目となる出来事が相次いだ時期だった。

 73年8月には、長年秘書として仕えた粕谷英雄が逝った。

 粕谷はレイ子と30も歳が離れていた。無口な男で、髪に手をやったら散髪の予約をしろ、胸ポケットに手をやったらたばこをよこせ、という意味だった。ぼそっと話したと思えば下ネタだったりして、レイ子をげんなりさせたことも一度や二度ではなかった。

 だが、粕谷はレイ子の出自に付け込んだりせず、魑魅魍魎が跋扈する政界で彼女を守り切った。父、真木甚八が、彼女のパートナーとして粕谷を選んだのは、さすが、としか言いようがない。粕谷は最後まで甚八の信頼に応えた。

 粕谷の地元・福井で行われた葬儀には、レイ子の他、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一ら宏池会の面々が参列した。85歳の死に顔はおだやかだった。

 判事を辞めて政界入りして、衆院議長、副総理、自民党幹事長まで務めたのだから上出来と言っていいだろう。レイ子が、陳情への対応や資金集めなどの仕事のほとんどを任され、事務所を仕切っていたので、マスコミからは「真木幹事長、粕谷秘書」などと揶揄されたこともあった。だが、それでも彼女を信じて任せた粕谷の懐の深さと思い切りの良さがあってこその二人三脚だった。

 主従関係も、男女関係もなくなったいまとなっては、レイ子と粕谷を結びつけるのは、二人の間に生まれた宏明だけだった。一人息子の宏明に、亡くなった粕谷が実の父であるということを告げてやりたかったが、それは叶わぬ願いだった。

 27歳になった宏明は私大の法学部を卒業し、大阪の農機メーカーで働いていた。就職を世話したのはレイ子だった。彼女の力があれば、総合商社でも新聞社でも入れてやれたが、そうはしなかった。政治家や有力支援者たちの子弟の就職を斡旋することが多かったが、その後の経過を見て、実力以上の会社に入った人間が必ずしも幸せにならないことを知っていたからだ。

 宏明には、取り立てて高い能力も野心もない。しかし、農機メーカーの社員として実直に仕事をするとレイ子は確信していたし、実際に、彼は期待を裏切らなかった。

 レイ子は東京に帰る機中で、粕谷と、彼を彼女のパートナーに選んだ甚八に心から感謝した。粕谷がいなければ、レイ子は、鬼頭紘太にいいように利用されて、使い捨てにされていたかもしれなかった。

 74年には加山鋭達内閣が火だるまになって倒れた。

 経済政策が行き詰まり、加山はライバルの福田赳夫に大蔵大臣を任せるしかないところまで追い詰められていた。福田は公共工事を延期するなど、インフレ抑制策を打ったが遅きに失した。

 政権の息の根を止めたのは、スキャンダルを報じた雑誌の記事だった。気鋭のジャーナリストが加山の金脈を追及した「加山鋭達研究」と、秘書兼愛人の小林亜紀との関係を暴いた特集記事が一挙に掲載されたのだ。

 加山と亜紀との間に生まれた娘は17歳になっていた。彼女は以前から、自分が正妻の子ではないことに気づいていたが、その雑誌が出るまで、父母の生い立ちや男女関係に至るまでの真実を知らされていなかった。彼女は多感な性質で、かねてリストカットを繰り返していたが、特集記事が出た後、高校前のバス停などで直撃取材を受けるなどしてますます情緒不安定になった。

 本妻との間の娘に至っては、加山と女性秘書が男女の関係にあることも、二人の間に腹違いの妹がいることも知らなかった。おまけに、その女性秘書が参議院の決算委員会に参考人として招致されることが決まってしまった。父の愛人がテレビ中継される国会審議で色恋について問われるなど、年ごろの娘にとって地獄以外の何物でもない。「うちの家族を晒し者にするのだけはやめて」。娘は、何度もそう言って加山に決断を迫った。

 2人の娘の窮状を見て、加山は心を決めた。総理の職を辞すことにしたのだ。トップに上り詰めるまでは手段を選ばず、がむしゃらだったが、頂上に立ってからは地位に恋々とすることはなかった。

 以上が、加山の退陣の一般的な解釈だが、レイ子は、内閣総辞職の原因はそれだけではないと考えていた。隠れた時限爆弾があったのだ。爆弾とは、原発とカネだった。