
【前回までのあらすじ】航空機調達をめぐる疑獄・L社事件で起訴された前総理の加山鋭達は、裁判で形勢不利に追い込まれた。決定打になったのは、「蜂の一刺し」といわれた、部下の前妻による証言だ。この証言を仕込んだのは、加山のライバルである「昭和の女帝」真木レイ子だった。(『小説・昭和の女帝』#38)
自宅への特攻を生き延びた「暗黒の帝王」の問わず語り
旅客機の機種選定を巡るL社事件の被告人となり、世間で「暗黒の帝王」とまで称されるようになった鬼頭紘太の初公判の場所は、東京地裁7階、701棟法廷だった。奇しくも5カ月前に行われた加山鋭達の初公判と同じ部屋だった。
鬼頭は黒の背広を着て、右手に杖を突き悠然と法廷に現れ、深々と一礼した。
彼は巣鴨プリズンに収監された時のように、諦めの境地だった。国策捜査からは逃れようがないことを彼自身がよく理解していた。
最終的な起訴事実はL社からコンサルタント料10億2850万円を受け取りながら、所要の許可を受けなかった外為法違反と、総額19億1950万円の脱税だった。
彼が裁かれるのはカネを受け取ったからであり、そのカネを、どの政治家や官僚に渡してL社の航空機を売ったのか、という点は問われていなかった。この点が不問にされて、最も喜んでいるのは中曽根康弘や防衛庁の幹部だというのが、永田町での一般的な見方だった。
東京地検には、日米両政府からさまざまな圧力がかかったのだろう。カネの“入り”に偏った鬼頭の起訴は、そうした圧力を何とか押しとどめてつくり上げたガラス細工のようなものだった。少しでもどこかをいじれば、各方面が妥協をすることで成り立っていた絶妙なバランスが崩れてしまう。だからこそ、検察は当初の筋書を少しも変えることなく、鬼頭を有罪にしようとするに違いなかった。
ある程度、覚悟はできていた。事実でないことまで認めるわけにはいかないが、自分のやったことは争わないつもりだった。
なぜなら、変に抵抗すれば虎の尾を踏み、破滅することになりかねないからだ。鬼頭はL社事件が表沙汰になってすぐに、真木レイ子が助言してきたことを忠実に守っていた。彼女のアドバイスを一言でいえば、捜査当局に抗わず、手を結べるところは結んで、上手く切り抜けろということだった。
アメリカは中曽根の能力と忠誠心を見込んで、将来、総理に仕立て上げる腹だろう。この裁判で口をつぐみ、中曽根に恩を売っておくことは、鬼頭にとっても悪い話ではなかった。
◇
鬼頭は初公判に出廷した後、脳梗塞の後遺症を理由に自宅に籠もった。
レイ子は暑さが落ち着いた9月に鬼頭邸を訪れた。L社事件が発覚してから会うのを控えていたので、1年半ぶりの再会だった。
「お元気そうですね。セスナ機の件には驚きましたが、ご無事で何よりでした」
鬼頭は寝巻姿で、応接室のソファに腰かけていた。セスナ機が突っ込んだのは別棟で、書斎は無事だった。補修工事がいまだに続いているのか、トンカチやドリルの音が聞こえた。
「いまだから笑い話で済ませられるが、あの時は本当に死にかけた。庭の椿に翼が引っかかって命を救われた。しかし、現代に、ああいう血気盛んな右翼青年がいるとはな。見上げたものだ」
彼はそう言うと、声を出さずに笑った。世間で言われるほど重篤そうではなかったが、声がかすれ、話すのがゆっくりになっているのが気になった。