人類史上3度目の
「定常型社会」に備えて

 先生は、18世紀以来続いた市場経済の拡大から、拡大を求めない「定常型社会」への転換が必要だと提唱されています。著書『無と意識の人類史』では、歴史上これまで人口や経済の「拡大・成長」と「定常化」のサイクルが3回繰り返されてきたと述べられています(図表1「人類史における拡大・成長と定常化のサイクル」を参照)。これはどのようなサイクルだったのでしょうか。

 定常型社会とは、GDPの増加を絶対的な目標としなくても、十分な豊かさを実現できる社会のことです。実際、1960年代には5%を超えていた先進7カ国のGDP成長率は下がり続けており、2010年代には約1%になっています。企業もモノをつくればつくるほど売れる時代ではなくなっていると感じているはずです。つまり、すでに事実として社会が定常化しつつある現状を踏まえて、今後のあり方を見直す必要があります。では、どのような社会なのか。経済成長を無限に続けるのではなく、資源の限界に対応しながら、むしろ循環の中でイノベーションを生み出す社会を目指すというイメージです。

 2001年に『定常型社会──新しい豊かさの構想』という本でこのコンセプトを提唱した当時はまだ少数派の意見でしたが、ここ数年で大きく潮目が変わってきたと感じます。SDGsが2015年に設定され、経済界や企業でもサステナビリティやウェルビーイングといった価値観が議論されるのが普通になりました。これまでの「GDPを大きくすればみんなハッピー」という一元的な価値軸から、トリプルボトムラインと呼ばれる、「環境」「社会」「経済」を軸にした多元的な価値軸が生まれ、「脱成長」に関する議論も生まれるなど、社会が根本から変わってきているのです。

 人類の歴史を振り返ると、これまで3回にわたって拡大成長の時代と定常化の時代が繰り返されてきました。最初の定常化は狩猟採集社会の後半期(約5万年前)で、増加していた人口が資源の限界にぶつかり定常化しました。その後農耕社会が始まり、再び人口が増えましたが、やがて中世に至り定常化が続きました。そして300年ほど前から現在に続く工業化社会で人口が急増、地球の限界に達し、再び定常化に向かおうとしています。

 こうしたサイクルにはエネルギーが大きな役割を果たしています。栄養分をつくり出せるのは植物の光合成による活動だけです。狩猟採集の時代では、植物やそれを食べる動物を人々が採取し生活していました。農耕という技術で植物の光合成を管理することで安定的に食料が確保できるようになり、人口も増加しました。しかし、やがて資源の限界に直面し、定常化を迎えます。そして現在では、生物の死骸が何億年もかけて蓄積されてできた石油や石炭つまり化石燃料が使われていますが、わずか200年ほどで使い尽くされようとしています。

 ここで重要なのは、成長から定常化への移行期において、人間の意識や価値観に革命的な変化が生じるという点です。つまり、狩猟採集の後半期にはラスコーの洞窟壁画に象徴されるような「心のビッグバン」と呼ばれる意識の変革が起こり、物質的な生産の拡大から精神的な豊かさや文化的発展へと転換しました。農耕時代の後半には、「枢軸時代」と呼ばれる紀元前5世紀前後の時代に、インドの仏教、中国の儒教や道教、ギリシャ哲学、中東のユダヤ思想など、現在に続く普遍的な思想が生まれたのです。

 したがって私たちがいま生きている時代は、言わば人類史の中での3回目の定常化への移行期であり、物質的生産の量的拡大から、文化的・精神的な発展へと転換する時代に差しかかっているのです。

 先生は、いまが「成長」から「成熟」へとシフトするターニングポイントであり、定常型社会の中でさまざまなチャンスが到来する時代だとして、その指標の一つとして「幸福度」を挙げられています。経済成長で富が増えたとしても、必ずしも幸福度の向上に直結するわけではない、という指摘は興味深いものがあります。たしかに、昭和には経済成長が富を生み、それによって幸福も広がるという感覚があったと思いますし、その感覚が段階的に幸福度を上げていくものだと感じてもいました。

 これは非常に根本的なテーマで、ここ20年ほどで「幸福の経済学」という、経済学と心理学が連携した分野が発展しています。これまでの研究によると、経済発展の初期段階では経済が成長するにつれて幸福度も上がる傾向がありますが、それ以降はかなりランダムな関係になるようです。この傾向は、むしろ当然のことではないかと思っています。お金で測れる価値というのは、全体から見れば限られていますから。

 幸福について考える時、私はよく「ウェルビーイングの重層構造」をピラミッド型の図で説明します(図表2「幸福の重層構造」を参照)。まず「生命・身体」が土台にある、つまり日々の衣食住がしっかり満たされているという、言わば幸福の物質的基盤があり、その上に「コミュニティ」がある。他者から評価されたり、社会に貢献していると感じたりすることで、自尊心や手応えを得て、ひいては自分の存在意義を確認する次元です。さらにその上に個人の「自己実現」があります。これは「自分がやりたいこと、好きなことをやる」という、他人の評価ではなく自分固有の価値を追求する水準です。


 実はこの上に、心理学者アブラハム・マズローが晩年に提唱した「自己超越」という段階があります。自己実現を超えて、他者や生物全体、生命、そして宇宙とつながる感覚を持つようになり、そこからまたコミュニティや生命への循環となって戻ってくる。これは最近の若い世代などの一部にも芽生え始めている感覚で、少し理屈っぽいかもしれませんが、こうした視点で幸福を多層的にとらえることが、いまの時代には大事だと考えます。