スズキは、日産自動車へ軽自動車OEM(相手先ブランドによる生産)供給など、事業協力関係を結んでいた時期がある。スズキがGMとの資本提携を解消した後のある時、鈴木修氏が東銀座の日産本社へ、当時のカルロス・ゴーンCEOを訪ねたのだ。鈴木修氏は、その時のことについて「サシで話したよ。だけど、どうもゴーンさんとはね」と口を濁していたが、どうも一時、日産との提携を模索した考えもあったようなのだ。

 ただし、その提携は実現していない。筆者は、ゴーン氏の人間性について「修さんの直感が働いた」のではないかと思っている。修さんが、「私心のないこと。従業員・地域・お客さまのために献身的な努力をすること」と言い続けていたことからも、ゴーン氏の思想とは相いれないことは容易に納得できる。

トップになっても庶民派の修氏
パチンコ、麻雀に興じる一面も

 スズキのトップになってからも、修さんは庶民派だった。社長就任間もない頃は、浜松駅前でパチンコに興じていた。麻雀も一緒にやったし、東京に出てきて行く飲み屋は銀座・コリドー街にある大衆居酒屋だった。

「軽自動車は貧乏人の味方なんだから、なんとしても守る」が口癖だった。国内のスズキ業販店の大会には必ず顔を出して、まず業販店の奥さんたちにあいさつして回り、“奥さん連”から圧倒的な人気を集めていた光景が常にあった。

 一方で、徹底的に無駄を省く効率・合理的経営の考えの持ち主でもある。その真骨頂は、好きだった麻雀にも表れた。記者クラブ麻雀ルールである1回勝負(1局終了)方式の「チャガラ麻雀」を、「これはいいねー。半荘みたいに時間を取らないから効率的だ」と気に入って興じていたのも忘れない。