また、かつてはヘビースモーカーだったが、ある時期にたばこをやめた。その直後、東京のホテル喫茶室で社長インタビューをした際に「佃くん、健康のためにたばこをやめなさい」と言われたのだが、当の本人はたばこをやめたばかりで口が寂しいのか、やたらにテーブルにあった角砂糖をなめる。そんなものだから「社長こそ、そんなに砂糖をなめたら体に良くないですよ」と、やりとりしたこともある。

 この100年に一度の自動車大変革期を迎えるに当たって、修さんは「これは自動車の“産業革命”だな。だが、ナポレオンの辞書には不可能という言葉はない。その行く末をじっくり見届けたい」と言っていた。本人の経営力の源である“挑戦し続ける”ことに執念を燃やした。

 鈴木修という巨星の逝去に当たって、豊田章男トヨタ会長から「憧れのおやじさんだった」と敬愛の追悼コメントが寄せられた。修さんも、章男さんの経営力を認めながら唯一、「レースはやめなさい」と直言する関係性だった。インドのモディ首相からも「インドの自動車市場に革命をもたらしてくれた」と最大の賛辞が寄せられた。

 年明けの1月7日の自動車5団体賀詞交歓会では、片山正則日本自動車工業会会長が冒頭のあいさつで「軽自動車を国民車に育て上げた鈴木修スズキ相談役の逝去に哀悼の意をささげる」と、鈴木修氏の多大な功績をたたえた。

「愛すべき、人たらしのおやじ」の修さんは、「オレの歳は7掛けだ」といってはばからない“怪物”の一方で、なぜか愛嬌があり現役の記者連中を煙に巻くのが得意だった。修さん独特の眉毛の特徴は、長男の鈴木俊宏社長にも受け継がれ、スズキはいま俊宏体制の下“自動車産業革命”に挑んでいる。「仕事一筋だったから海外に行っても観光なんかしたことがなかった。100歳になったら観光するよ」と言っていた修さん。天国でインドやハンガリーでもゆっくり観光して回りながら、スズキの行く末を見守ってください。合掌。