正気じゃないけれど……奥深い文豪たちの生き様。42人の文豪が教えてくれる“究極の人間論”。芥川龍之介、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫、与謝野晶子……誰もが知る文豪だけど、その作品を教科書以外で読んだことがある人は、意外と少ないかもしれない。「あ、夏目漱石ね」なんて、読んだことがあるふりをしながらも、実は読んだことがないし、ざっくりとしたあらすじさえ語れない。そんな人に向けて、文芸評論に人生を捧げてきた「文豪」のスペシャリストが贈る、文学が一気に身近になる書『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)。【性】【病気】【お金】【酒】【戦争】【死】をテーマに、文豪たちの知られざる“驚きの素顔”がわかる。文豪42人のヘンで、エロくて、ダメだから、奥深い“やたら刺激的な生き様”を一挙公開!
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「病気のデパート」と呼ばれた虚弱体質
江戸(現・東京)生まれ。本名・夏目金之助。帝国大学英文科卒。代表作は『吾輩は猫である』『こころ』『坊っちゃん』など。明治時代を代表する近代日本文学の巨匠。幼少期に養子に出されるなど、波瀾に満ちた少年時代を過ごす。漢学を学んだことが、小説における儒教的な倫理観や東洋的美意識を磨いた。幼いころから病気がちで、大学予備門時代には、結膜炎にかかって進級試験が受けられず落第する。明治33(1900)年、文部省の留学生としてイギリスに留学するも、神経衰弱となり帰国。その治療の一環として小説を書き始め、38歳のとき『吾輩は猫である』でデビュー。その後も次々と名作を発表する。晩年は複数の病気や神経症に苦しみながらも執筆活動を続けるが、胃潰瘍が悪化して49歳で死去。
「病」といえば、なんといっても夏目漱石です。
「病気のデパート」と呼ばれるほど、実に多くの病歴があります。
まずは3歳のとき、当時としては致死的なウイルス感染症の痘そう(天然痘)に罹患します。これは発熱とともに全身に発疹ができる病気で、致死率が極めて高く、たとえ死を免れて治ったとしても、顔面に発疹の跡が残ります。
◯自分の顔にコンプレックスを抱えていたワケ
「あばたもえくぼ」ということわざがありますが、これは本来「好きになれば、天然痘の発疹跡が残った醜いあばたさえ、かわいらしいえくぼに見える」という意味です。
漱石の顔には発疹跡のくぼみが残ってしまいましたが、これがコンプレックスとなり、ロンドン留学中に神経衰弱になった一因とされています。漱石は、できるだけあばたが目立たないように、写真を修正したこともありました。
◯「糖質制限食」をとり入れた
また、17歳のときには虫垂炎(俗称・盲腸)、20歳のときにはトラホーム(伝染性の結膜炎)、中年以降には胃潰瘍や痔、糖尿病を患っています。神経質でストレス耐性が低い漱石の性格は、こうした病歴によって助長されたともいえるでしょう。
糖尿病になった漱石は、インスリンや経口薬が開発されていなかった当時、「厳重食」と呼ばれた最新の食事療法、いわば近年認知度が高まった「糖質制限食」をとり入れたのですが、ストレスからくる過食傾向もありました。
◯吐血して意識を失い、死の淵をさまよう
特に甘いものを好み、ジャムをそのまま舐めることもあったそうです。こうした食生活が糖尿病に悪影響を及ぼしたことでしょう。
漱石が43歳の夏の日、胃潰瘍が悪化して多量の吐血をして、30分ほど意識を失い、死の淵をさまよったこともあります。胃潰瘍による大量出血で49歳の若さで亡くなるまで、さまざまに抱えた心身の病巣が、漱石の作品にどんどん投影されていきました。
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。