そして彼は、善良さや情熱を前面に出すのは良いとしても、それは長く続かないと述べ、実際に「早いところ、米国人たちが去ってくれないかなぁ。もう疲れてきたよ」と漏らすアカウントもいると指摘している。
そう、筆者もそのことを心配していた。中国には「家の恥を外にはさらさない」という不文律がある。同じように「国の恥」をさらすのも控えるべきであり、そのために善意全開で社交的に「難民」たちを迎えようとはしたものの、それは「中国人の日常ではない」(彭さん)のである。
もし、その情熱がぷっつりと切れればどうなるか。もしかしたら、難民に対して「中国のネット主権」を主張する声が高まるかもしれない。そうなれば、小紅書は「民間外交実践の場」から一転して「民間中米大戦争の場」へと変わっていくかもしれない。そうなれば、両国の関係はさらに面倒な局面へと発展しかねない。
筆者はそれを危惧していた。
「オープン、交流、相互関係」?
中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」は、この「ネット民間交流」についてこんなふうに論評した。
「米国人ユーザーは、『小紅書で多彩で豊かな中国を、リアルな中国を見ることができた』と言う。中国人ユーザーの多くは熱心に自分の生活を紹介するだけではなく、海の向こう側のわくわくするような話をシェアしあった。こうした中米ネットユーザーの『めぐりあい』を、ネットを使った『ピンポン外交』、21世紀の『キッチン討論』と呼ぶ論評もある。こうしたウィットに富んだ表現の裏には、『オープン、交流、相互関係』という人間社会の普遍的なテーマであり、各国の人たちが心から欲している道理が見え隠れしている」
これを読んだとき、筆者の目は「オープン、交流、相互関係」の文字に釘付けになった。正直、「おまいう」(おまえがそれをいう?)と思った。「中国のアプリ」という壁を作り、米国人ユーザーが「流入」という奇妙な状況を作り上げたのは一体誰なのか?