そうして意図的に無関心にしていると、かえって他人に対して客観的になれたり、公平になれたりする。そのニュートラルな感覚こそが、実は運気のよき流れを生み出すような気がするのだ。
そうはいっても、こんなに長年どっぷりと芸能界に浸かっていて、いろんなことに慣れている僕ですら、やっぱり心を乱されることはあるし、負の感情を抱くことだってしょっちゅうある。そしてその都度、何者かから試されていると感じる。
僕はなんとなく、自分がひとりでいるわけじゃないといつも本能的に感じている。もうひとりの自分がいて、その自分との間で問答をしたり相談したりしている感覚と言えばいいのだろうか。俯瞰してモノを見ているような、幽体離脱して自分を見ているような感覚だ。
そういう感覚を持つことで、冷静に自分を知ろうとしているのかもしれない。自分自身を掘り下げて考えるのはめんどくさく、ときにはとてもつらいことだ。でも実は、本質的ですごく必要なことだと思っている。自問自答を通じてしか、自分の信念というものは確立できないからだ。
スランプに陥ることは、これまで僕にもたくさんあった。暗いトンネルに入り込んでしまうのは、人生のお約束みたいなもので、誰もが何度もアップダウンを経験するのは当たり前のこと。
暗くて苦しいからといって、穴を掘り進めてトンネルを出たつもりでも、そこにあるのはもっと長い別のトンネルかもしれない。たとえ出口が見えなくても、暗くて足元が悪くても、そこでやめてしまってはいけない。進んだ先には、きっといいことがある。いちばんいけないのは、あきらめることだ。
孤独で不安な戦いだからこそ
味わえる面白さもある
トンネルを抜け、ひと皮剥けたあとには、それまでできなかったなにかができるようになっているはずだ。そしてそれは、きっと誰かから共感を持ってもらえる。
トンネルに迷い込むような苦い経験は、誰でもしている。そういう人生の暗部について人に話しても仕方がないから、必ずしも明かさないだけだ。