そこには、悟りや煩悩の概念さえない。迷いなんて、余計なことでしかないのだ。

 心の余裕がなくなったとき、僕はこの「本来無一物」という言葉を思い出す。僕にとって真に大事なことは、“この世界で飛び跳ねるのが好きだからやっている”――ただそれだけだ。好きだから続ける。そのシンプルでニュートラルな気持ちがベースにあれば、目指すべき方向も正義の形もあまり間違わないだろう。

 一方、よき人生には、努力だけでなく強運も必要だと、そんなこともたびたび言われるものだが、運の強さとよき出会いを引き寄せるのも、そのシンプルな気持ちに尽きると思う。

岩城滉一さんに
30年ぶりの恩返し

 話は変わるが、先日、クレー射撃の練習場で、ある人と偶然、久しぶりに再会した。その人の名は、岩城滉一さん。かつて、あるドラマで岩城さんと共演したことがある。岩城さんと僕とでダブル主演のような内容だったのだが、どちらを主役として立てるかを巡って、事務所同士の話し合いが持たれた。そのとき岩城さんは、「いいですよ、僕はサブで」と言って、快く一歩引いてくれた。それで物事が丸く収まったから、なんだかとてもありがたかった。この借りはいつか返さなければ、とずっと心に引っかかっていたが、その後なかなか機会もなく、気づけば30年も経っていた。

 そして、クレー射撃の練習場でばったり岩城さんとお会いした場面に戻るのだが、そのとき岩城さんは、僕へのちょっとした頼みごとを何気なく口にした。僕はふたつ返事で、「もちろん、いいですよ。あなたには僕はずっと前に借りがあるから」と言って、ドラマで共演したときのエピソードを蒸し返した。すると彼は、「よく覚えてますねー。そんな昔のこと」と笑っていらした。

 でもきっと彼自身、あのときのことはよく覚えていたと思う。本当ならもっと早く借りを返すべきだったのだ。やっとそれが果たせて、僕もほっとしたのは事実だ。ただ、借りを返すべきときというのは、意味ある形で、また絶妙なタイミングで訪れるものなのかもしれないとも思う。