それに30年ほど前からは、スタッフが収録中に大げさな笑い声をあげるようになったことが気になっている。演者は次第に、それに向かって表現するようになっていった。テレビの向こうに本当の大切なお客様がいるのに、すぐ近くの人を意識してしまうのだ。演者の人たちには、本当はできればもっともっと遠くに向かって、表現するものを飛ばしてほしい。映画や舞台で芸を遠くまで飛ばせる人は、いつの時代も魅力的なのだから。

 僕が過ごしてきた時代には、自分の表現がどこまで伝わるか、遠くまで届くのか、日々考えて鍛錬するという厄介なことを、みんながやっていた。

 共演者やお客様と一緒に完成度を高めていく楽しさは、励みになったものだ。今は編集技術などを含めて、いろんなものが芸を助けてくれる世の中になった。けれども、演者自身の努力以外に頼みとなるものがなかった時代には、天才だって考え抜いてよりよいやり方を模索していたのだ。その結果生まれた芸は、心を打つものだった。

「好きだからやっているだけ」
シンプルな気持ちが運を引き寄せる

 それに、昔は長い下積みの時期を経て実力をつけてから、ようやく表に出てくるという人が多かったけれど、今は、彗星のごとくドラマティックに世に現れ、流れ星のように消えていく人も多い。だから、一足飛びに脚光を浴びてしまう今の人は、チャンスもある代わりに、この世界に長く踏みとどまる実力もつけることができず、少しかわいそうな気がする。やるからにはちゃんと芸の花を咲かせたいだろう。

「空手還郷」という仏教の言葉がある。学ぼうと思って留学したのに、すっからかんになって何も持たずに郷里に帰る、という意味である。この言葉に表現されているのは、つまりは学びの末、突き詰めれば、自分自身の身ひとつで、何も求めずこだわらず、当たり前のことにひたすら心を砕くことこそがこの世でもっとも大事なことだとわかった、ということだ。

「本来無一物」というのも、禅宗で有名な言葉だ。禅宗では、物事は本来「空」であるから、執着すべきものはなにひとつないのだと、そう教えられる。