Self-as-We」が拓く未来

 ダイバーシティとインクルージョン(D&I)もまた、矛盾を内包する概念だろう。多様な人たちを同化して統合すれば、マネジメント効率は高いはずだがイノベーションは期待薄だ。一方、多様性と包摂を両立しようとすれば、マネジメントの難易度は高まる。

「ドイツ観念論の哲学者ヘーゲルの弁証法でいう、アウフヘーベン(止揚、対立する2つの概念を統合して新たな価値を生み出す過程)に至る正反合の3段階(正=テーゼ、反=アンチテーゼ、合=ジンテーゼ)は、矛盾する2つのものを高い次元でまとめようという考え方です。多様性を収れんさせようとする意識が、西洋では強いのかもしれません。収れんの先に生まれる統合組織の形態もありえますが、どうしても絶対主義的になるし、面白みには欠けるでしょう。イノベーションを目指すのであれば、多様性を活かした包摂の在り方を真剣に考える必要があります」と名和氏は話す。

 一方、古い日本流経営の組織では、「ウチ・ソト」を分ける意識が強く、「ウチ」の中を同質化させることはうまく、和をつくることはできるが、「ウチ」に入れない人とは和をつくれないのが欠点である。こうした「ウチ・ソト」という二元論的な対立を乗り越え、異質なものをそのまま包摂するD&Iを実現するためには、何らかの共通基盤が必要だ。それは価値観かもしれないし、倫理的な規範かもしれない。アリストテレスの『政治学』を起源とし、アメリカの政治哲学者マイケル・サンデルが「共同体の構成要因にとって共通する善」と定義する「共通善」(コモン・グッド)を提起する向きもあるが、名和氏が提唱するのは、共感を持てる人たちが一つの善の集団をつくっていく「共感善」が同時に実現する形で存在する組織である。

「人によって善は異なるので、共通化は難しい。しかし、誰かの示す善に共感する人たちが集団をつくれば、その組織は多様性を包摂することができるはずです」と名和氏は言う。個々人が共感善でつながっていれば、その組織はパーパスを深いレベルで共有することができるだろう。日本企業が多様かつ稀少な価値を提供するための共通基盤をつくるうえで、共感善は有効なアプローチといえそうだ。

 澤田氏は、「共感善」と響き合うコンセプトとして、人間の行為の主体を「私」ではなく「われわれ」に置く「Self-as-We」(われわれとしての自己)を提起する。

「人間は単独では何もできない存在です。人間はAIに負けるのではなく、最初から負けている。AIに勝たなければならない、ということもないのです。こうした『根源的なできなさ』こそが、人間のいいところ、強みです。一人ではできないから、人間は他者とつながって何かをしようとする。できないから、自動的にコネクトする存在が人間です。とすれば、『Weは自分自身』ととらえることもできるでしょう」

 共感善、あるいは倫理のような共通基盤でコネクトした組織であれば、多様性を包摂しやすいのではないか。個々人が自分らしく働きながら、その集団の活動を自分事にできるような組織。そのような組織は「われわれ」であり、かつ「私」でもあるはずだ。

 こうした日本発の共感善に基づいたサービスをビジネスでどのように実践するか。名和氏は現状のICT技術の限界を超えた新たな情報通信基盤としてNTTが推進する「IOWN」(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)構想が、多層の価値が共存するプラットフォームになりうるのではないかと澤田氏に問うた。

「IOWNはパーツの一部として、プラットフォームを支える存在になるでしょう。技術的なブレイクスルーを起こすには、共感善を育まなければなりません。逆に共感善の集団から見れば、IOWNは共感善を生むプラットフォームであり、パーツとなるといえます」と、澤田氏は述べた。