ギャルヴィン家の12人の子供たちの誕生は、ベビーブーム時代と見事に重なっている。ドナルドは1945年に、メアリーは1965年に生まれた。彼らの世紀はアメリカの世紀だった。
親のミミとドンは、第1次世界大戦の直後に生まれ、世界恐慌のときに出会い、第2次世界大戦中に結婚し、冷戦時代に子供を育てた。幸福の絶頂期には、ミミとドンは彼らの世代の偉大なところや良いところをすべて体現しているように見えた。
冒険心、勤勉さ、責任感、そして楽観(子供を12人も、しかも最後の数人は医師たちの助言に逆らってまで儲ける人は、楽観主義者以外の何者でもない)。
統合失調症の歴史の中で
医学の的となった家族の記録
しだいに大きくなっていく家族と共に、2人はさまざまな文化運動が興っては消えるのを見届けた。そしてその後、ギャルヴィン家の全員が、文化に対して独自の貢献をした。人類の最も理解しがたい疾患における、壮大な症例研究の対象として。
ギャルヴィン家の10人の息子のうち6人が、統合失調症についてほとんど何もわかっていなかった時代──そして、じつに多くの異なる説がぶつかり合っていたとき──に発症したので、それを説明するための探求が、彼らの人生全般に影を落とした。
彼らは、施設への収容とショック療法や、サイコセラピー(精神療法)か薬物療法かという議論、とうてい見つかりそうにないこの疾患の遺伝子マーカーの探索、疾患自体の原因や起源をめぐる深刻な意見の相違などに代表される、さまざまな時代を生き抜いた。
兄弟がそれぞれこの疾患をどのように経験したかについては、遺伝的なところはまったくなかった。
ドナルド、ジム、ブライアン、ジョセフ、マシュー、ピーターは、1人ひとり異なる形で患い、異なる治療を必要とし、次から次へと診断が変わり、統合失調症の本質についての、相容れない説の対象とされた。
そうした説のうちには、親のドンとミミにとりわけ残酷なものもあり、2人は自分たちがしたことやしなかったことのせいでこの疾患を引き起こしたかのように責められることがしばしばあった。