ところが、ドラドビーチではこの考え方は、お決まりの抵抗に出合った。国立精神保健研究所に所属するローゼンタール自身の同僚の1人までもが異を唱え、混乱状態や窮乏状態で子供時代を送ることが一因となりうる、と主張した。
大きい都市ほど、社会階級が統合失調症と強い関係を持っていることを、さまざまな新しい調査が示していた。
だが、その同僚も、因果関係にまつわる疑問があることは認めた。貧困が統合失調症を引き起こすのか、それとも、先天的な精神疾患のある家族が貧困に陥るのか?
「統合失調症誘発性の母親」も復活した。ヘルシンキ大学の講演者は割り当てられた時間を使って、「苦々しい思いを抱き、攻撃的で自然な温かみの欠けた」「不安で、不安定で、妄想的な特徴を持っていることの多い」母親を攻め立てた。
とはいえ、そのヘルシンキ大学のセラピストは、もし母親が悪いのなら、なぜ同じ母親を持っているのに、統合失調症になる子供もいれば、ならない子供もいるのかは、説明できなかった。彼は、母親の育て方が悪いことが原因に違いないと信じているだけだった。
遺伝派vs環境派は
「敵対する陣営」
次に、セオドア・リッツが家族の動的な関係性に基づく自説を展開した。子供は「最初の数年間に非常に杜撰な養育を受けていると認識したり、はなはだしいトラウマを負わされたり」すれば、適切に発育しそこないうる、と彼は断言した。
このイェール大学の精神医学者は、自分の立場を支持するデータはまったく示さず、統合失調症を発症した家族との自分の経験を挙げるだけだった。
こんな調子で1週間が過ぎ、会合の最終日の7月1日、主催者のローゼンタールが総括することになった。
彼は当たり障りのない冗談から始めた。遺伝か環境かという統合失調症にまつわる論争は、「ドレスシャツ姿でのフランス人の決闘」を連想させる、と彼は言った。決闘者たちは「互いに相手を徹底的に避けたので、風邪をうつされる危険にさえ自らをさらしませんでした」。
ローゼンタールは、如才なく言葉を続け、こうしてみんなで集まれること自体が明るい兆しに思える、と述べた。