広島に存在した
幻の地下鉄計画
広島電鉄は玄関口広島駅を中心とした6路線計19キロの軌道線と、西広島と宮島口を結ぶ16.1キロの鉄道線(宮島線)を営業し、宮島線の列車のほとんどが軌道線との直通運転を行っている。
富山市(富山地方鉄道)や松山市(伊予鉄道)、高知市(とさでん交通)など、路面電車が発達した都市は全国にあるが、「100万都市」の市内交通を路面電車が担っているのは広島だけである。1980年代に入ると京都、福岡、仙台にも地下鉄が開業する中、なぜ広島は路面電車のまちのまま現在に至るのか。
実は、広島にも地下鉄計画が存在した。1967年に組織された「広島交通問題懇談会」が、国内では初めての大規模なパーソントリップ調査(都市における人の動きを把握する調査)を実施し、これにもとづいて提案した計画が最初だ。国鉄可部線、呉線、広島電鉄宮島線と相互直通運転を行う2路線計11キロの路線だった。
懇談会の提案を具体化するため1970年に設立された「広島都市交通研究会(HATS)」は計画を再検討し、国鉄可部線横川駅から平和大通り、広島駅を経由し芸備線矢賀駅に至る「鯉城線」と、広島電鉄宮島線己斐(西広島)駅から八丁堀経由で国鉄呉線向洋駅に至る「東西線」の2路線計17.5キロを提案した。こちらも終点で各路線に乗り入れる計画だった。

ところが、ほどなくしてオイルショックが発生し、国と自治体の財政状況が悪化したため大規模投資は困難になった。だが、目の前の交通問題は待ったなしの状況であり、地下鉄の実現を待つ余裕はない。そうした中、広島電鉄は路面電車の再生に向けて動き出した。