またオスロ合意によって、パレスチナ自治政府は、結果的にイスラエルの命令を実行する下請けの役割を押しつけられた。A地区では自治政府が、パレスチナ人の抵抗勢力を取りしまった。それにより、自治政府への不満は高まった。

 イスラエルは、経済的にも有利になった。パレスチナ自治政府の運営資金は国際社会が負担することになったので、イスラエルが占領のために支払う費用が減った。

 しかも、各国からの資金はいったんイスラエルを通して送金されることになっていたので、パレスチナ側とトラブルが起きると、イスラエルはいつでもパレスチナへの資金提供を止めることができた。それにより、パレスチナ側の公務員の給料などがたびたび止められた。

 西岸地区の住民にとっても、エリアが分断され検問所がふえたことで、生活は以前より不自由になった。そして、和平交渉の期間にも入植地はふえ、家屋破壊と追放は進み、土地はうばわれた。しだいにパレスチナ人は、オスロ合意とそれを結んだパレスチナ自治政府に対して、失望するようになった。

 パレスチナの地図を年代ごとに見ると、パレスチナ人の土地がどんどん縮小していくようすがわかる。オスロ合意は、土地の返還や人権状況の改善を何ひとつもたらさなかった。「自治区」とは名ばかりで、形をかえた新たな占領の始まりだった。

図表:パレスチナ人の土地の変遷同書より転載 拡大画像表示