その八重洲ビルは、再開発に伴って2023年に取り壊しとなっていたが、跡地を含む「八重洲二丁目中地区」で三井不動産らが大規模ビルの建設事業を進めており、29年1月に竣工する予定。ここにホンダは入居する。同ビルは、地上43階(地下3階)、高さ227メートル、東京駅前の一等地とスペックや立地は申し分ない。同ビルに拠点を構えることで、1フロア当たりの面積は従来の青山ビルと比べて6.8倍広くなる。

ホンダが八重洲に本社移転へ…四輪の苦境を脱して「ヤンチャな気風」を取り戻せるか?Honda青山ビルの外観 Photo:JIJI

 青山から八重洲へ。ホンダが浜松から東京に進出した1952年は、まだまだ日本のモータリゼーション幕開け前の時期で、当時のホンダはいまでいう「スタートアップ」企業だった。創業者コンビの本田宗一郎・藤沢武夫両氏を中心に八重洲に事務所を構えたものの資金繰りに苦慮するなど、いまだに語り継がれる東京進出の歴史の第一歩となった地に再びホンダが帰ると考えると、感慨深いものがある。

 これも余談だが、東京進出のタイミングで倒産寸前となったホンダに、資金調達で手を差し伸べたのが当時の三菱銀行京橋支店長だった。藤沢武夫氏が「三菱銀行への恩を決して忘れてはならない」と語った逸話があり、それがゆえんで現在もホンダのメインバンクは三菱UFJ銀行となっているのだ。

 そのホンダは、いま大きな“転機”にある。

「2040年までの脱エンジン」を三部敏宏社長が宣言したのが、社長就任直後の21年4月のことだ。カーボンニュートラル(CN)対応が企業の社会的責任として求められる中で、当時、いち早く脱エンジンとEV(電気自動車)への移行を打ち出すことで、「攻めのホンダ」を一気にアピールした。24年から本格的にEV投入を開始し、26年以降は「ホンダ第二の創業」と位置付けて、EVシフトを加速すると同時にガソリン車を順次、生産終了させていく計画だった。

 だが昨年来、欧米を中心にEV拡大の勢いは急激に失速していった。さらに、米国でトランプ第2次政権が誕生したことで環境政策が一変し、EV逆風がより強まった。現実的にEVが本格化しているのは中国だけで、EVの厳しい採算性から世界の自動車メーカー各社は戦略の転換を余儀なくされている。

“剛腕”といわれる三部社長も今年5月の「ビジネスアップデート2025」で、世界的な事業環境の変化を踏まえて電動化戦略の軌道修正を表明した。具体的にはEVの販売目標を引き下げる一方で、HV(ハイブリッド車)を再強化するというものだった。