4年目の2022年、水谷は2月の宮崎キャンプで主力中心の「A組」に抜擢されているが、右肩痛で離脱。ウエスタン・リーグでもわずか13試合の出場にとどまった。

2つ三振したら3軍行きの状況で
どうやって生き残るのかという重圧

 自らドミニカ共和国に渡り、メジャーリーガーたちの自主トレにも参加して臨んだ2023年、オープン戦途中まで1軍に食らいついたが、開幕1軍には入れず、4月下旬には3軍への降格も経験。ウエスタン・リーグで83試合出場、打率.259、4本塁打、1盗塁は、1軍昇格へのアピール材料としては、やはり乏しい数字でもある。

「率直にいえば、5年間で1回も(1軍の試合に)出してもらっていないというのは、まあ、『なんで?』という気持ちはあります。一概に(選手の)層が厚かったから出られなかったとは、僕の中ではあんまり思ってないんです。実際に試合に出ていたら、どこまでできたかは分かりませんけど、果たして、1回もチャンスをもらえないほどの成績しか残していなかったのか、そんなレベルだったのかと言われたら、そこは違うんじゃないかな、とは感じています」

 少ないチャンスを、モノにしなければならない。その重圧で、いつの間にか追い詰められている。強迫観念にも似た思いが、大きなプレッシャーへと変わって、水谷の心にのしかかる。

 その悪循環、精神的な負のスパイラルの状態が、試合でのパフォーマンスに影響しないわけがない。

「去年(2023年)はファームですけど、やっぱり結果を出さないと試合には出られない。2つ三振したら、次の打席は代打、次の日は出られません、2、3試合出られません、もっと言ったら3軍に行きますよ、というような状況でした。2軍ですが、追い詰められた心境でしたね。その中でどうやって生き残るのか。僕の中では正直な話、別に辞めてもいいと思っていたんです」