しかし、給水所があってもそれが「万人にとって使いやすい」とは限りません。たとえば、給水ポイントまで自宅から車で10分程度かかる地域も少なくなく、車を持たない高齢者はそこに行くのも難しい状況でした。

 さらに、仮に給水所までたどり着けたとしても、「水を運ぶ」という作業が立ちはだかります。

入浴も洗濯もできない生活が
何カ月も続いた

 10リットル入りのポリタンクは約10キログラム、自治体が配布する2リットルのペットボトル6本入りの箱は約12キログラム。これは若者でも持ち運びに苦労する重さです。

「水をもらっても運べない」「何往復もして腰を痛めた」という声が相次ぎ、被災地ではカートやキャリーケースを押して給水所に向かう人の姿が日常となりました。なかには、重さに耐えきれずにこぼしながら歩く高齢者の姿もあり、近所の住民同士で助け合いながら水を分け合う光景が各地で見られました。

 しかし、地域全体が高齢化していれば、その支え合いにも限界があります。多くの人が「給水車が巡回してくれれば助かる」「水の運搬をボランティアに頼みたい」と口にするなど、水を手に入れることそのものが新たな困窮を生み出していたのです。

 断水という言葉から真っ先に連想されるのは「飲み水」かもしれません。しかし実際に生活していく上では、それ以上に深刻なのが「衛生を保つ水」が使えないことです。

 普段私たちは、入浴や洗濯に大量の水を使っています。たとえば入浴には1人当たり180リットル、洗濯には1回で50リットルもの水が必要です。しかし、能登半島の被災地では、こうした水がまったく使えない生活が何カ月も続きました。

 避難所では自衛隊による移動式の入浴施設や洗濯支援の船舶が提供されましたが、その利用は避難所の人々が優先され、自宅に残る住民は対象外でした。

 そのため、入浴や洗濯をするには、営業を続けている入浴施設やコインランドリーまで車で移動しなければならず、地域によっては隣接自治体まで出向く必要がありました。