しかし、自宅に戻ったとしても水道も下水も機能しておらず、生活の困難は解消されないまま続いていきます。

 人は、食べること以上に、排泄の尊厳を損なわれることに深い屈辱と苦しみを感じるものです。

 能登半島の断水と下水道の破損が重なった事態は、トイレという「最後のプライバシーの砦」がいかに水によって支えられているかを、私たちに突きつけるものでした。

 水が使えないということは、日々の暮らしを根本から揺るがし、ときに人の生き方そのものを変えてしまうのです。

 能登半島地震の被災地では、断水が長期化する中で、商売をあきらめる人々が相次ぎました。飲食店、美容室、食品製造など──水がなければ成り立たない仕事は数多くあります。

 営業を続けたくても水がない、トイレが使えない、衛生環境が保てない。そのために客足が遠のき、廃業を選ばざるを得なかった事業者も少なくありません。

 働く場を失った人は、暮らしの継続そのものが困難になります。中には「もうこの地を離れるしかない」と、ふるさとを離れる決断をした人もいました。

和歌山県・紀の川
水を運ぶ橋が落ちた日

 住み慣れた地域での暮らしを望んでも、水道が復旧しなければ生活は再建できません。いくら家が無事であっても、「水が来ない」だけで、住まいとしての機能を失ってしまうのです。

 しかも今回の被災地では、高齢化の進行によって、支援の担い手が高齢者自身という構造的な困難も重なりました。

 東日本大震災や熊本地震のとき以上に、復旧作業や給水の担い手が限られ、「支援する人も支援を必要とする人も高齢者」という場面が各地で見られました。

 能登の断水は、私たちにあらためて問いかけます。水は暮らしの基盤であり、地域社会の生命線だということを。流れてくる水、そして流している水があるからこそ、人は住み、働き、日常を営むことができるのです。

 2021年10月3日、和歌山市内を流れる紀の川にかかる「六十谷水管橋」で異変が起きました。下流の住民から「川に橋が落ちている」と通報があり、確認されたのは、なんと上水道を送る水管ごと、橋の中央部分が60メートルにわたり川に崩落している姿でした。

 六十谷水管橋は、紀の川の南岸にある浄水場から市北部へと水を送るための重要なインフラでした。