橋の上には直径70センチメートルの送水管2本が設置されており、これが市民約6万人の水道供給を支えていたのです。その水道本管が物理的に切断された結果、北部地域は即時に断水。生活用水はもちろん、学校や病院、商業施設も影響を受ける広範囲の災害となりました。

目視の点検で「異常なし」でも
崩落が起こる現実

 実際の橋は、鉄骨トラス構造を持つ全長約547メートルの設備で、1875年に建設されました。事故の前年には耐用年数である約45年を超えていたものの、市による定期点検では異常は確認されていなかったとされています。

 事故の1カ月前にも巡視が行われていましたが、当時の記録では「目立った損傷はなし」とされていました。

 橋脚の腐食か、基礎の沈下か。原因は事故後に専門家を交えて調査されましたが、老朽化による破断を直接示す決定的な一因は特定されていません。

 しかし逆に言えば、「目視の点検で異常が見つからなくても、崩落は起こる」という事実だけが残ることになりました。

 この事故は、水道施設が「災害によらずとも、ある日突然壊れる」ことを示した象徴的な出来事でした。そして、全国に無数にあるインフラの点検・維持の在り方に対し、根本的な問いを投げかけたのです。

 和歌山市の事故は、自然災害とは無縁の日常の中で起きました。しかも、目立った傷や破損が確認されていなかったインフラが、ある日突然、崩れ落ちるという現実。

 点検が行われていても事故は防げず、その結果、約6万人に断水が発生したという事実は、他の自治体にとっても決して対岸の火事ではありません。

 能登と和歌山。自然災害と老朽事故という、異なる発生要因にもかかわらず、共通していたのは水道が止まることで生活が一変するという現実でした。

 災害か、老朽化か、突発的な事故か──原因は異なっても、結果は同じ。「水が来ない」というだけで、暮らしも、仕事も、地域も、あっという間に立ちゆかなくなるのです。