回転寿司 勝者の条件#4Photo by Satoru Oka

今や日本の外食産業を語るのに欠かせない回転寿司。1970年の大阪万博で人気に火が付き、一躍外食産業の主要業態となった。不景気や新型コロナウイルス禍、その後の人手不足とインバウンド需要など、時代の荒波を乗り越えた今、回転寿司はどう変わってきたのか。特集『回転寿司 勝者の条件』の#4では、回転寿司の生みの親である故白石義明氏の息子、白石博志氏を直撃し、回転寿司の本来の良さを聞いた。(ダイヤモンド編集部 大日結貴)

10歳から身近にあった回転寿司
70年万博で世界に認知された

――回転寿司の業態はいつ頃確立されたのでしょうか。

 昭和32(1957)年に回転寿司の機械が完成したと記憶しています。今年で68年目です。昭和35年に現在の道頓堀店が開店しました。

――認知度が上がったきっかけは何でしょうか。

 やはり前回(70年)の大阪万博なのでしょう。世界中の人が食べに来ましたので。ソ連館やアメリカ館が近くにあったこともあり、大盛況でした。

――創業当時、会長は10歳でしたが、店の様子について記憶はありますか。

 当時から店が1階で家が2階という形でしたので、赤貝やマグロをさばく裏の作業を身近に見ていました。当時はのりも手作業で切っていましたので、そういう手伝いはしていました。

――事業に本格的に携わるようになったのはいつ頃なのでしょうか。

 大学を出た後です。世界一周をしたり北浜の料理屋で働いたりと自由に過ごしていたのですが、23歳の4月に親に帰ってこいと言われて店に入りました。

――最初はどのような業務をしていたのですか。

 最初は道頓堀店に見習いで入りました。働いている人が経営者の息子だったらやりづらいじゃないですか。「黙って見とけ」と親には言われて見習いで働いていました。

――今の回転寿司をどのようにご覧になっていますか。

10歳の頃から回転寿司とともに成長してきた白石氏。まさに回転寿司の生き字引だ。そんな白石氏は昨今の日本の回転寿司市場をどう見ているのか。次ページで詳しく話を聞いた。