僕自身、組織開発の現場をとおして、その影響力を実感しています。ですが、概念が広がれば広がるほど、解釈の間違いも散見するようになったのです。

 たとえば、従業員の心理的安全性を高めようと、経営者が自ら1on1ミーティングやディスカッションの機会を設定し、意図もわからないまま呼び出され、不安を感じている従業員に向かって、「遠慮しないで、なんでも忌憚なく話してほしい」と意見を聞き出そうとするパターンです。

 ほかにも「心理的安全性=心地よい環境」と誤解してしまい、ミスに対してメンバー同士が指摘できなくなっている―といった具合です。

 僕も、ある企業の方から「うちは心理的安全性を重視しているので、なるべく衝突しないようにしているんです」という言葉を聞いたことがあります。こうした背景からは、心理的安全性についての誤解が浮かび上がってきます。

心理的安全性を目的化すると
チームの成長は止まってしまう

 心理的安全性は、メンバーの日々の関わり方によって結果的に形成された「状態」であり、成果を上げるためのゴールではありません。

 この点を勘違いすると、心理的安全性を高めることが「目的」になってしまい、先の経営者のように、突然、従業員と面談を始めるといった事態が起こります。さらには、心理的安全性が確保されたと感じた途端に活発な意見交換をしなくなり、チームとして成長する機会を失ってしまうかもしれません。

 また、「心理的安全性=仲が良い」というのも異なる解釈です。

 批判や意見の衝突そのものをなくすのではなく、「批判や意見の衝突が起きても、最終的には理解・受容し、お互いを高め合える」と思えることが、本来の意味合いです。この信頼感があるからこそ、失敗やミスを恐れずに挑戦しようという空気がチーム内に生まれ、心理的安全性をより高めていくのです。

 六太は、宇宙飛行士候補者の頃から、たとえ失敗する可能性があっても挑戦することを選んできました。自分自身に対してはもちろん、ときには仲間や上司にも「本気の失敗には価値がある」という信念を伝えています。