なんと長い説明であろうか。「security clearance」というたった2つの単語で構成されている英語に相当する単一の日本語が存在しないということは、日本はそれだけセキュリティー・クリアランスに甘いということになるのだろうか(ちなみに「安全保障承認」という言葉があるが、こちらは「security approval」の訳語として使われているようである)。
実は、私が滞在した当時のオークリッジ国立研究所では、戦後20年以上が経った1960年代の後半においても、まだマンハッタン計画時のセキュリティー・クリアランスが適用されていたのである。
外国籍の学生に立ちはだかる
“国家機密”という壁
原子力工学で修士号を得るために私が選択したテーマは、「原子炉(nuclear reactor)」だった。論文を仕上げるためには、どうしても図書館を利用しなければならないのだが、ここで大いに困る事態が生じた。
『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(山田克哉、講談社ブルーバックス)
オークリッジ国立研究所ではセキュリティー・クリアランスが適用されていたため、日本人(外国籍)である私は、図書館の利用を拒絶されたのである。どうやら、当時の図書館にはまだ国家機密に関する書籍や文書が多々残っていたらしいのだが、修士号を得るためには黙って引き下がるわけにはいかない。
私は、思い切ってオークリッジ国立研究所の所長に直接、掛け合った。所長は温和な人物で、ゆったりと落ち着いた口調で私にわかりやすく事情を説明してくれた。なにしろバックにいるのはアメリカ中央政府である。「終戦から20年が経っても、いまだ原子爆弾の国家機密を引きずっているのか……」と唖然としたが、諦めるしかなかった。
幸い、2人の共同研究者たちが私の立場をよく理解してくれ、さまざまに便宜をはかってくれた。図書館を利用することは叶わなかったが、彼らのおかげで無事に修士号を取得できたのである。







