その後、2007年9月には改正道路交通法が施行され、飲酒運転をした人の罰則は大幅に強化されました。さらに、運転者に車両を提供した人、お酒を提供した人、一緒に乗っていた人も罰せられるようになりました。
このように、お酒を飲んで車を運転するという決定をした人に、厳しく社会的な責任を問う声があがり、また、実際に責任を課す法律が施行されたことで、飲酒運転は大幅に減ったのです。
飲酒運転に対して大きな責任を課すことで、そのような決定をするのを未然に防いだと言えるでしょう。
個人と集団で下す
決定の重みの違い
ある行為に責任を課すことで、その行為を思いとどまらせ秩序を維持する。私たちがよく用いる方法です。それにより飲酒運転による悲惨な事故を防げるならば、それはとてもよいことです。
しかしながら、飲酒運転のように、個々人の決定を抑止した方がよいと多くの人が思える事例は、それほど多くありません。個々人の決定を尊重した方がよいのか、責任を重視すべきか。この判断は意外と難しいものです。また、ときに責任の追及が過剰になり、息苦しさを生むこともあります。
私たちの生活する社会で何かを決めるのは、個人だけではありません。会社・地域の自治会・国といった集団も、さまざまな決定をします。ときに集団の決定は、私たちの決定と対立し、私たちの決定の範囲を狭めることがあります。
記憶に新しいところでは、2020年の新型コロナウィルス騒動があげられます。騒動のさなか私たちは、科学的根拠に基づき、人との接触や外出を避けることを強く求められました。その勧告を破って外で飲食をした人には、厳しい批判が浴びせられています。
個人の決定と集団の決定を比べた場合、集団の決定のほうが、およぼす影響は大きいにもかかわらず、責任はあいまいになりがちです。集団の決定には非常に多くの人が関わるため、責任が拡散しやすいのです。
その一方、個人の決定は、責任が明確なように思えます。







