1920年4月、イタリア北西部の保養地サンレモ。第一次大戦で勝利した連合国がアラブ地域を支配したオスマン帝国の戦後処理を協議し、オスマン帝国領のうち、「シリア」をフランスの、「イラク・パレスチナ」を英国の委任統治領にすると決定した。

「パレスチナ」を巡っては、ユダヤ人のナショナルホーム建設を認めた1917年のバルフォア宣言の履行を明記した。この会議には英国やフランス、イタリアのほか、日本も参加し、英仏による中東支配を承認している。背景には、その見返りに、中国・山東半島でのドイツ利権の引き継ぎなどについて日本への支持を取り付けたかった思惑があると指摘される。

 日本は歴史的に中東問題とは無関係だとの声が散見されるが、実はユダヤ人がイスラエル建国に向かう動きの中で、重要な役割を演じている。

 サンレモ会議から2年後の1922年7月、国際連盟は正式に英委任統治領パレスチナを承認した。決議は「委任統治政府は、ユダヤ人がパレスチナにナショナルホームを建設するという英政府により発出され、列強に採択された1917年11月2日の宣言を実行する責任を負う」と強調、「適切な条件でユダヤ人移民を促進し、ユダヤ人の入植を奨励する」と謳った。

強烈な被害者意識が
入植地建設を正当化する

 この国際連盟による英委任統治領に関する決議は現在もイスラエル政府の公式見解を下支えしている。

 ヨルダン川西岸は1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダンから奪った領土で、国連はじめ国際社会の多数派はヨルダン川西岸をイスラエル占領地として認識し、ジュネーブ諸条約が禁じる入植地の建設を非難する。

 国際司法裁判所(ICJ)も2024年7月に同様の見解をあらためて示し、イスラエルに撤退するよう求めている。

 だが、イスラエル政府はヨルダン川西岸を「係争地」とみなす。イスラエル外務省はウェブサイトで「本当の占領とは承認された主権から奪取された領域にのみ生じる」と主張し、「ヨルダン川西岸を支配していたヨルダンの主権は国際的には承認されていないうえ、パレスチナの主権国家というものは存在したことがなく、占領地ではなく、正確を期せば係争地である」と強調している。