歌舞伎町一番街写真はイメージです Photo:PIXTA

歌舞伎町で長年働いてきた“スカウト社長”が、自身の体験を通じて業界の実情を語る。毎日100人に声をかけ続け、数々の危険と理不尽に直面しながら生き延びた彼は、独立後も思わぬ形で社会の壁にぶつかった。一方で、法のもとで認められた大手企業の転職支援と、性風俗業界への転職支援との間には、見過ごせない規制の矛盾があるという。※本稿は、弁護士の若林 翔『歌舞伎町弁護士』(小学館)の一部を抜粋・編集したものです。

風俗スカウトの社長が明かす
歌舞伎町の流儀

 スカウト社長(編集部注/著者とは10年以上の付き合いになるベテラン)がこの業界に入ったのは偶然だった。

「ガキの頃に軽く(暴走)族をやっていて、その時の先輩がホストになったんです。それで、歌舞伎町に遊びに行くようになりました。最初は『そっか、ホストか、金稼げるなら、俺もやってみようかな』とか思ってたんですけど。何度か会ったら、先輩、めちゃくちゃシバかれてるし。全然売れてないし、こういうの、俺は無理だわってなって。

 その頃に、スナックでヤクザの人と知り合いになって、スカウト会社を紹介されたんです。そのヤクザの人はけっこう羽振りがよかったし、優しかったので、クソみたいな扱いされるホストより全然いいやと思って、そのスカウト会社に入りました」

 ここで彼は「スカウトになった」という言い方をしているが、彼の言うスカウト会社は法律上の会社法人ではない。正式には「スカウト集団」である。ゆえに「入った」と言っても、契約書を交わして従業員になったわけではない。

 歌舞伎町では「どこ(スカウト会社)の誰」と名乗れなければ路上に立つことはできず、また声掛けのために立てる路地は、有力者やスカウト会社同士の“談合”によって細かく決められている。