山:その制約の中で「操る喜び」をちゃんと出せるスポーツを造ろう、そしてそれを電動化時代の入り口に出そう、と。そこに意味があると考えました。結果として、BEVが足踏みする状況になり、株価なども含めて景気が上向いて、「600万円くらいなら頑張れば買える」と思ってくださる層が見えてきた。正直な話、景気の追い風は読み切れていませんでしたが、振り返ってみると、電動化の流れと市場環境とホンダへの期待がちょうど重なったんです。その交差点に、このプレリュードが立っている、という感覚ですね。
「プレリュード」の名前は自然に湧いてきた
F:それではプレリュードの名前はいつ“降りてきた”のでしょう?最初から決まっていたわけではない、と伺いましたが、それなら、いつ、どのようにしてプレリュードになったのか。
山:プレリュードの名前が決まったのは、開発が中盤に差し掛かったあたりです。具体的に言うと、開発期間の前3分の1が終わった頃。そのあたりでデザインの方向性、サイズ感、どんな走り味を目指すのか、などの大枠が社内でコンセンサスとして固まりました。
「こういうキャラクターのクルマにしていこう」という土台が見えたタイミングです。
F:そこで、初めて「プレリュード」の名前が出てきた。
山:はい。ですが我々から「これはプレリュードです!」と強く主張したわけではなく、社内で議論を進めていく中で「あれ?これってプレリュードが担ってきた役割に近くない?」という声が自然に湧いてきた感じです。経営層が特にそう感じてくれました。
社長を始め、今の経営陣は、二代目、三代目のいわゆる“リトラ(クタブル)時代”のプレリュードをリアルタイムで見ていた世代ですからね。強い思い入れがあるのだと思います。
プレリュードを知らない、若い世代の反応は?
F:分かります。憧れでしたからね、プレリュードは。「ホンダのクルマに乗って、ユーミンか山下達郎の曲をかけて、渋谷西武のパーキングの列に並ぶ」というのがイケてると思っていたわけですから(笑)。最も勢いのあったホンダの時代。確かにその記憶が強烈に残っている世代です。







