入試問題は我々が思ってる以上に学校の先生が信念を持って作っているものなんです。ただ知識量や処理スピードだけを測るのであれば、問題を100題ぐらい作って、1問1答だけをひたすらやらせて、上位の子から取ってもいいわけじゃないですか。でも、そうじゃないんですよね。やっぱり、アドミッションポリシー※というものが強烈にあるということなんです。

※アドミッションポリシー=学校の教育理念、目的、特色等に応じて受験生に求める能力、適性等についての考え方をもとめたもの

 最近、私は保護者向けの講演をする際に「過去問をラスボスだと思ってませんか?」 と問いかけているんです。「これを最後に倒しさえすれば!」とか「倒すにはどうすればいいか」って思い続けていませんか?って。そうじゃないんですよ。 学校の先生は本当にこの問題を解いて入ってきてほしいと思っていますから、その子が実力を発揮できないということがないように、言い回しとかにもものすごく気をつけているし、変なミスリードにならないように気を遣っています。だからこそ、これを超えて入ってきてほしいと心から願っているんですね。

 つまり、入試問題はラスボスではなく、その学校に入るためのお助けアイテムとか、お助けキャラクターみたいな位置付けなんですよってことをお伝えしたいです。これは作問されている先生とお話していると、強く感じます。

 落とすために入試をやっているのではなく、心からこの問題を解いてほしいと願っている。入試の際に試験監督になった先生は受験生の様子を見ながら「解きにくいかなっていうところには必ずヒントを載せてるから気づけ!気づけ!」と思っているそうです。この問題の真意を読み取った子たちと一緒に授業をしたいんですよ。そういう子たちと共に教室で過ごすって楽しいじゃないですか。どこもこんな感じですね。

――過去問を対策のツールとして見るだけではもったいなくて、そこに込められた作問者である先生の意図を読み取ることも大事なんですね。

 そうです。結局、実際に入学したら、その先生が待ってるわけですから、入試問題を解いてみて「面白いな」と思う視点を持ってほしいんですよね。 やっぱり、どこの学校の先生も「この問題が楽しいと思って解ける子は入学後も授業を楽しく一緒に受けられる」とおっしゃるんです。