大学での学びが地域でどう根づくかという課題

 羽田野さんと思い出話をしながら気づいたことがあった。羽田野さんと同学年やその前後の学年の卒業生で、関西近辺で活躍している人が、他の学年よりも断然多いことである。すでに私は、学生が卒業して就職すると、東京に吸い寄せられるように神戸を離れていくのに慣れきってしまっていた。そのことに気づいた私は、卒業後も神戸に残り、地域の発展に貢献している卒業生の人生の選択について、もっと知りたいと思った。そこで思い浮かんだのが、羽田野さんの一学年上の鴨谷(かもたに)香さんという卒業生であった。

 鴨谷さんは、横浜の大学から3年生のときに神戸大学に編入学してきて、そのまま、神戸に居ついた女性である。鴨谷さんは、卒業後も、大学との関わりをたびたび続けてくれている。結婚式に招待してくれた最初の卒業生ということでも、鴨谷さんは私にとってことさら大切な卒業生の一人である。私は改めて、鴨谷さんに、大学と関わり続けてくれている背景を尋ねてみることにした。

 鴨谷さんは、横浜からやってきた元気のいい女子学生だった。「モダンドンチキ」という、地域活性化を目的に活動しているチンドン屋サークルに入り、学生生活を満喫していた。私の活動にもよく参加してくれて、今でも、その頃に出会った障がい者に会いに来てくれる。私の仲間で、すでに高齢期に入っている障がい者も、鴨谷さんが遊びに来てくれることを楽しみにして過ごしている。

 卒業後、鴨谷さんは、人を育てる事業を展開している会社に就職して、関東に戻っていった。けれども、短期間に神戸で築いた篤い人間関係は途絶えることはなかった。仲間や後輩と「モダンドンチキ」で集まろう、活動しようという声があがれば神戸に駆けつけるなど、理由をあれこれつくっては神戸に遊びに来ていた。

 鴨谷さんは、2年余り、関東の企業で力をつけた後、留学を経て、再び、関西に拠点を移した。神戸の人間関係から離れることができなかったからだ。「モダンドンチキ」の活動で知り合った同窓の男性と結婚し、大阪の企業に就職もした。そして、関西で新しい生活の基盤を築くのであれば、縁のある神戸に住みたいと考えた。
ところが、就職した途端、リーマンショックの嵐が吹き荒れ、鴨谷さんは力を発揮する間もなく、リストラに遭った。「職業人生は終わった」と落ち込む一方、お腹には新しい命を宿していた。

 子育てが始まると、地域社会が再び身近なものとなった。多くのママ友に囲まれるうちに、学生時代に築いた人脈も頼りながら、女性支援をテーマにした地域活動の道に入っていった。懸命に子育てをしながら女性支援の活動を続けて5年程が経ち、40歳の足音が聞こえた頃、鴨谷さんは、これまで取り組んできた実践をまとめて文字にしておきたいと思い立った。身近にあった大学が、そんな思いに応えてくれそうだと感じ、一年間で修士号を取得できる「高度職業人養成プログラム」の門戸を叩いた。こうして、そのプログラムを運営する私のもとに、鴨谷さんは舞い戻ってきた。

 羽田野さんや鴨谷さんのような卒業生たちの歩みを通じて見えてくるのは、大学での学びが地域の中でどう根づくか、そして、その種をどう育てていくかという課題である。2人とも、現在の地域での活動の原点には、学生時代の地域との関わりがある。紆余曲折しながらも、学生時代にまかれた種が育ち、地域に根ざした活躍をしている卒業生の姿は、私にも元気を与えてくれる。