学生を介して大学・地域・企業が共に育つ未来へ

 では、地域社会との関わりを重んじる卒業生の姿に、大学や地域、企業はどのように応えるべきだろうか。

 現在、社会からの厳しい評価の目にさらされている国立大学は、国際的な舞台での活躍に力点を置かざるを得ない状況にある。国際共著論文、有名な国際誌での論文発表に大きな価値があり、それによって、大学や教員個々人の評価がなされる傾向が強まった。

 世界のどこにいても通用する普遍的な知を生産する研究は、もちろん、大学の花形である。しかし、他方で、学生を育て、地域社会と深く関わりながら発展してきた大学の歴史を考えると、大学は、地域社会に根を下ろし、地域社会にとっての資源としての役割を果たしながら、地域社会から養分をたくさん受け取ってきている。地域社会に深く広く根を張れば、大学は豊かな実りを得ると私は思う。

 私が「地域社会」という言葉で表すのは、“日常的な人間関係が生まれ得る顔の見える範囲”である。高齢者が散歩で毎日立ち寄る公園、子育て中の親が頼ることのできる施設、障がい者が安心して通うことのできる事業所など、“さまざまな状況に置かれた人が利用可能な社会資源がある範囲”ということでもある。そうした顔の見える範囲での人と人との関わり合いが、助け合いや学び合いを生み出していく。

 「地域」という言葉は多義的でもある。大学にとっての地域はもっと広域で、神戸大学の場合であれば、兵庫県あるいは関西圏を指すことが多い。実際に、私自身も、兵庫県教育委員会と協働して、兵庫県全体の障がい者の生涯学習推進政策に関わっている。その際に地域の主人公となるのは、住民や市民団体であると同時に、企業や自治体でもある。

 近年では、大学と自治体、大学と地元企業との間に協定が結ばれる事例も増えている。地域への貢献も、大学に求められる重要な役割なのである。私自身も、神戸市と神戸大学との協定に基づいた取り組みを行うことで、自治体の職員や地域住民との関係を深めてきた。その経験から、“顔の見える範囲の地域社会”に対しても、大学がもっと貢献できる余地があると感じる。羽田野さんや鴨谷さんと改めて対話することで、地域社会にとって、大学は顔の見える存在になっているだろうか、という課題意識が私に生まれた。

 学生たちは、地域社会にとって重要な大学の「顔」になり得る。例えば、大学と地域が協働して、地域に愛着を持って卒業する学生が、地域に活力を与え続ける仕事に従事できるサポートの仕組みを構想できないだろうか。その取り組みの一歩目になるのは、学生が地域社会で活躍している人と出会い、心が動く体験を重ねることだと思う。羽田野さんが、阪神・淡路大震災の記憶を出発点に地域社会に入り込む生き方を選択したように、また、鴨谷さんがチンドン屋として重ねた地域住民との生き生きとした関わりが現在の活躍につながっているように、個々人の生活史の中に、地域社会での活動が重要な位置を占めるようにしていけたらいい。

 大学と地元の企業は、次代を担う人々を地域で共に育てることで、地域に貢献できる。企業は、フィールドワークやインターンシップなどを通して、学生が心を動かす経験を提供することができる。企業が社会貢献で行うボランティア活動を通じて、地域で活動をする学生と企業の従業員が出会うといったことも、実際に起こっている。そうした出会いの経験を提供できる地元の企業は、学生のリクルーティングでも優位に立てるはずである。

 学生時代に経験した“心を動かされる出会い”は、地域への理解と親しみを育て、学生が地域に活力を与える仕事に従事する動機にもなる。大学と企業が地域の将来を支える学生を育て、連携を深めていくことは、大学・企業・地域それぞれの持続可能な発展にとっても大きな意味を持つだろう。