長尾健太郎は、開成開闢以来の秀才と言われた数学者だ。国際数学五輪に開成中3年から4回連続して出場し、中3で銀を、高校の3年間で連続して金メダルを獲得した。
東大理学部数学科から京大大学院を経て博士になった。幾何学的表現論が専門で英オックスフォード大に留学、帰国後に名古屋大助教に就任したが、15歳から患っていた難病の胞巣状軟部肉腫が全身に転移し、13年10月に31歳で死去した。
「数学のノーベル賞」と言われるフィールズ賞というのがある。40歳以下の数学者に授与される最高に権威ある賞だ。日本人の数学者でこれを受賞しているのは3人しかいない。「長尾が40歳まで存命していれば、きっとフィール賞級の研究成果を挙げてくれたはず」と、早世を惜しむ声がしきりだ。
数学では、整数論が専門で上智大学長を務めた守屋美賀雄がいた。
地震学者や物理学者など
さまざまな人材を輩出
地震学者が数人いる。「日本地震学の父」といわれる大森房吉が前身の共立学校で学んでいるが、その後の旧制時代には初代気象庁長官の和達清夫に加え萩原尊礼、浅田敏が、新制卒では平沢朋郎、大竹政和がいる。いずれも世界に誇れる地震学者だ。
65年卒の同期では、宇宙の研究・開発に関係する研究者がいる。宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)などで研究職を務めた田中佐、恩田昌彦、加藤隆二、多田章だ。69年に米国のアポロ11号が史上初めて人類を月面に着陸させたことに、刺激を受けたという。
11年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、「反原発」を唱えることで一躍、名が知れ渡った卒業生がいる。京都大原子炉実験所を15年3月に定年退職するまで「万年助教(助手)」にとどめ置かれた小出裕章だ。「原発をやめることに役立つ研究」を続け、全国を講演行脚していた。
物理学者では、明治から昭和にかけて活躍し、初代大阪帝国大総長や帝国学士院院長などを歴任した長岡半太郎が共立学校に通った。1937年に第1回文化勲章を受章した。







