色平哲郎は佐久総合病院(長野県佐久市)の地域ケア科医長だ。東大理科Ⅰ類を中退し世界を放浪後に京大医学部に入学、現在は農村医療に情熱をささげている。
循環器内科医の武藤真祐は、一般社団法人高齢先進国モデル構想会議を設立し、政府の各種調査会の委員を務めている。東日本大震災後には、被災した宮城県石巻市に在宅療養支援診療所を開設した。
木村雄二は、日本キリスト教海外医療協力会派遣者としてネパールに行き、病理医の育成に力を注いだ。
東京曳舟病院の前病院長の山本保博は救急医療のプロだ。麻酔医の上原淳は、午後4時以降の夜間休日に特化した川越救急クリニック(埼玉県川越市)を開いている。
精神科医の宮島賢也は自らのうつ病発症経験を踏まえ、薬を使わずにうつを治す研究を続けている。
法医学者の岩瀬博太郎は、『死体は今日も泣いている』(光文社新書)で、「日本では犯罪性が疑われる多くの死体が、解剖されることなく荼毘に付されている」と警告した。
薬学では、アルカロイドの合成者で北海道大学長を務めた伴義雄がOBだ。
文系の学者・研究者として
活躍する卒業生は
文系に移ろう。昭和時代に、慶応義塾の塾長(理事長兼慶応義塾大学長)を2人出している。西洋経済史の高村象平が11代、仏文学の佐藤朔が13代塾長だ。共に慶応大卒だ。
早稲田大の設立に参加し初代学長(初代総長は大隈重信)を務め、その後、同大総長になった政治学者の高田早苗は、共立学校で学び大学予備門を経て東大文学部を卒業した。
西洋史学の大類伸、中国文学の奥野信太郎、哲学の戸坂潤、社会経済史の小松芳喬、イタリア文学の野上素一、統計学の林知己夫、国語学の大野晋、米国史の猿谷要、社会学の橋爪大三郎、文化社会学の長谷正人らが卒業生だ。
法学では、労働法の末弘厳太郎、法社会学の平野義太郎、商法が専門で創価大学長を務めた小室金之助、日本で数少ないイスラム法が専門の両角吉晃、民法の池田真朗らがOBだ。







