正義は思想が過激化しやすく、そこに群集心理が加わるといよいよ歯止めがきかなくなる。社会心理学的にSNSでの正義感は非常に暴走しやすい条件が整っているとされている。

「正義の大いなる暴走」と歴史的に位置づけることができるであろう中世の魔女狩りは、当初民衆の間で私刑として行われていたものが教会や国などの公的な認可を得て、つまり公的に仕組みを整えられることで力を与えられ、規模が一気に拡大した。

いじめ動画拡散で
被害者が救われているという現実

 SNSを介した私刑に市民権が与えられそうになっている現在の状況と魔女狩りの初動にはよく似ているところがあり、であるからこそ一層の警戒をもって当たりたい。

 まず大前提として、いじめ動画が拡散されること、およびそれによってネットリンチに端を発する社会的制裁が行われることによって救われた、または将来的に救われるいじめ被害者は無数にいる。これはどうあっても動かしがたき事実であり、いじめ動画拡散が(ときに必要悪として)支持される納得のゆえんである。このあたりについては後に詳述する。

 さて、いじめ動画拡散によって起きるリスクや懸念について触れておく。

 まず、SNSで情報を発信する人は、承認欲求やら収益やらの目論見を何割か(少なくとも公的な報道機関よりかは個人なので何倍も)まじえて胸に抱いている。

 そうした個人の下心自体は何も悪くはないが、収益等を求めて報道の質(正確性、表現の妥当性など)が犠牲にされるおそれがより強く、さらにそれを監督・抑制・チェックする装置を個人は有していないことが多いので、「信頼できる情報源」として位置づけるにはちょっと危なっかしい。

 また、法の手続きを踏まずに私的な義憤に任せるままに行われる雑な真相究明や裁きは、もとは被害者ファーストで始まったはずなのに、どこかで「報道している人・裁いている人自身のためのもの」にすり替わってしまっている。「下心ある正義の台頭」がひとつめのリスクである。