真に寄り添っている発言か
SNS制裁で見過ごされがちな「被害者の心情」
被害者のケアが途中から放棄されがちになるのもSNS上の制裁の特徴である。被害者はコンテンツの中で消費される存在となって二次被害を被り、「加害者の人生を終わらせろ」とかそんな声が目立つ中で、真に被害者に寄り添った発言をしている人はごく少数である。
映画やマンガは勧善懲悪がなされておしまいだが、現実には被害者にはトラウマと今後戦っていく人生があり、社会がどうケアしていくかといった課題は山積している。私も、先に書いた通り、このような時は加害者への厳罰を求めるクチだが、正義感で加熱している時こそ原点に立ち返って、被害者の心情について思いを巡らせたいところである。
次に、いじめ動画拡散による抑止力はそこまで期待できないのではないか、という懸念がある。いじめ動画が投稿されて問題になるなら、加害者は動画を撮影・投稿しなければよい。
また、いじめ加害者の中でも首謀者は体験的に本当に狡猾で、現場を取り押さえて全員捕まえてみても首謀者だけいつの間にか逃げおおせてるということがざらにある。いじめ動画拡散にはたしかにいくらかの抑止力が備わっているだろうが、期待を寄せるほどの効果が現状生まれるかは疑問である。
それから、SNS制裁は仕組みや制限がないので利用しにくいと考える被害者もいるであろう。「相手家族の人生を終わらせてまで告発することではないかもしれない」と被害者が萎縮して黙ってしまうかもしれない。被害者がもっと気軽に相談できる、頼れる窓口はあっていい。
現状、いじめ告発と加害者による制裁(個人特定や晒しなど)は、ものすごくざっくばらんに行われている。加害者の親の勤務先と誤解された企業が誹謗中傷にあって、サイト上で「誤解です」と説明する一幕もあった。
また、ある告発・拡散のアカウントと一般ユーザーのやり取りを見て唖然とさせられた。
「特定班有能すぎw」「家族も人生終わったな」といったトーンだった。騒動の発端にいる高揚や恐怖から上ずっているものの、これからその一族の人生を「終わらせる」手応えや責任をあえて自覚しようとしていないような心もとなさが痛烈に漂っていた。







