無論、騒動に参加した人はみな等しく「加担者」だが、加担した自覚は当人たちに当然ない。これは群集心理のうち脱個人化と呼ばれるもので、個人個人のリテラシーに頼るのには限界があり、やはり群集心理を強化するSNSという装置の作用力が強すぎるところに起因している。

 ともかく、SNSでは制裁している人たちが制裁している手応えも責任もたいして感じないまま、加害者の社会復帰が難しいくらいのエグい制裁が完了する。

いじめられたらどこに相談すればいい?
公的な仕組みへの不信感

 これは法治国家としてどうなのか。もちろん法は万能ではないし、「どう考えてもその罰は手ぬるい」と感じる法もたくさんある。だがそれを、SNSでの私的制裁に管理を委ねる理由にするのは危うい。感情に基づく私的制裁を正当化するのは歴史的に魔女狩りと同型である。

 罰がぬるいなら、まず「罰のぬるさを如何せん」という議論を持ちたいところである。

 ただ、SNSによる私的制裁に頼らざるを得ない人たちがいる現実はものすごくよく理解できる。背景には、本来いじめを止めなければならない仕組み(主に公的機関)への強い不審がある。

 まず名乗り出るのに甚大な勇気が必要で、そこをクリアしたとしても適切な相談窓口がどこなのかよくわからず、相談しても取り合ってくれるかわからない……どころか相談を無下にされ二次的に傷つくおそれすらある。

 相談後、動いてくれるにしても調査や決定に何カ月とかかる。被害が現在進行系で、被害者にとって1日1日が生き死にを分ける地獄であっても関係ない。解決に当たる立場の人がどれだけ熱意を持っても無為である。そもそも制度・仕組みに即応性が足りないのである。

 そこをいくとSNSは頼れる。即時性、即効性、第三者の介入効果、制裁の過激さ、匿名性(場合によっては被害者にも二次被害)など、公的機関が持っていないものほぼすべてを兼ね備えている。

 リスクは「暴走しがちでコントロール不能」という点で、ブレーキとハンドルの付いていない超速パワーエンジン車のようなものだろうか。