単なる表現やアウトプットではない
経営者がCDOに本当に期待していることとは

 連載の当初、私はCDOに求められる「高さ」とは何かを考えるに当たり、二つの要素を重視していた。一つは、デザインを経営に生かすための「対話力」である。デザインの専門に閉じこもることなく、経営者や事業責任者と同じ言語で語り合い、その可能性を理解してもらうためのコミュニケーション能力。もう一つは、デザインについて企業価値を構成する「資産」として捉える視点だった。単なる表現やアウトプットではなく、企業にとってどのような価値を持つのかを説明し、共有できること。この二つがそろってこそ、デザインは経営と接続される――それが当初の考えだった。

 しかし、実際に12人の経営者やデザイン責任者と対話を重ねる中で、その理解は少しずつ更新されていった。対話力や資産性への理解は、確かに重要である。ただ、それらはCDOに求められる条件の「結果」であって、「前提」ではないのではないか。そう感じるようになったのである。

 対話を通じて見えてきたのは、より根源的な問いだった。デザインを、経営の意思決定そのものに関与させることができるのか。企業がどこへ向かうか、その方向性を明確にするための手段として、デザインを用いることができるのか。単に理解してもらう、説明する、納得してもらうという段階を超えて、デザインを「判断の道具」として使えるかどうか。そこにこそ、「高さ」の本質があるように思えた。

 この視点に立つと、CDOという役割の見え方も変わってくる。CDOは、デザイン組織のトップであるとともに、経営者に近い存在でなければならない。経営の文脈で思考し、企業の未来に対して責任を持つ。その上で、デザインという方法論を用いて、何を選び、何を捨て、どの方向へ進むのかを定義していく。その覚悟と視座を持つからこそ、対話は成立し、デザインは資産として扱われるようになる。

 振り返ってみれば、当初私が「高さ」として捉えていた対話力や資産性への理解は、視座の高い位置に立った結果として自然に求められるものだったのだろう。対話を通じて、その順序が反転したことに気付いたこと自体が、この連載を通じた最大の学びだったのかもしれない。CDOとは、デザインを語れる人ではなく、デザインによって企業価値向上の道筋をつくれる人である。その条件が、対話を重ねる中で、よりはっきりとした輪郭を持って立ち上がってきた。