Photo:AI Generated/Chat GPT
今、私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。連載『日本を創った57人の経営者』の本稿では、東急グループの事実上の創業者であり、その強引な経営スタイルは世間から「強盗」と呼ばれるほどの批判を浴びながらも、荒々しいエネルギーをもって鉄路と街を一体で築き上げた、五島慶太を取り上げる。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
ハイソな街並みをつくった
常軌を逸した男の執念
正直に言います。
会食などの後、「深澤さん、お帰りはどちらから?」と聞かれて、「渋谷から東急田園都市線です」と答えるとき、私の顔はちょっと誇らしげであるはずです。
関東にお住まいの方なら、きっと共感していただけるでしょう。東急沿線といえば、「住みたい街」「洗練された沿線」の代名詞です。
渋谷、自由が丘、田園調布、三軒茶屋、二子玉川、武蔵小杉――。文化やゆとりある暮らしのイメージまで含めて、東急は都市のブランドを形作ってきました。もっとも私の自宅は多摩川を越えた神奈川県で、実態はごく普通の郊外ベッドタウンなのですが……。
今回は、その華やかな風景を掘り下げてみましょう。そこには意外な歴史が浮かび上がってきます。一人の男の、常軌を逸したともいえる執念です。
男の名は、五島慶太。
東急グループの事実上の創業者であり、その強引な経営スタイルは世間から批判を浴びながらも、荒々しいエネルギーをもって鉄路と街を一体で築き上げた人物です。
五藤はかつて世間から「強盗慶太」と呼ばれました。
「強盗」なんてひどいあだ名を付けられる経営者、今どきいるでしょうか。ましてや、今の東急のハイソなイメージとは、懸け離れた語感、表現です。
なぜ彼は「強盗」と呼ばれたのか、ほかならぬ五島自身が「あたかも札束をもって白昼強盗を働くような仕儀で買収」「時にはやむを得ず株買占めという強硬手段」を使ったからだと述懐しています。性格も傲岸不遜で、若い頃は上司に面と向かって逆らうようなまねを平気でしていました。
こうした傑物の物語は、日本社会では好んで語り継がれます。そして「あの時代にはすごい経営者がいた」「それに比べて今は小粒になった」と嘆く――。
この連載も、その類いと思われるかもしれません。
ところが、不遜で、強引で、しばしば周囲と衝突し、ルールの外側を踏み越えるような経営者が、実際に今の時代にいたらどうでしょう。
現代の企業社会や官僚機構、そしてメディアの視線にさらされれば、彼らは早い段階で「問題人物」として排除されてしまうかもしれません。コンプライアンスや説明責任が重んじられる時代において、彼らのような存在は、あまりに“扱いづらい”からです。
「昔の経営者はすごかった」と褒めそやしながら、同時にそうした傑物が再び現れる土壌を、私たちは自らの手で狭めているような気がします。
閉塞感の漂う日本で今、私たちに突き付けられているのは、その矛盾に向き合うことなのかもしれません。
次ページでは、何もないところからインフラを敷き、人の流れを変え、街を育てるという「大義」のために、むき出しの野心と、野蛮なまでのバイタリティを最大限に発揮した「強盗慶太」の実像に迫ります。







