私のリーダーシップ
ジャーニー
ノーベル賞受賞後、CiRAだけで600人、財団でも100人以上、日本全体では何千人もの方がiPS細胞の研究に関わっています。最先端分野の研究者、組織とプロジェクトのリーダー、社会などのステークホルダーとのリエゾンパーソンという複数の顔を同時に持つことになった山中先生ですが、こうした大勢の人をまとめ上げていく中で、心がけてこられたことを教えてください。
最初に申し上げておきたいのは、私はけっしてリーダーシップに長けているわけではありません。クラブ活動でも主将をやったことはありませんし、高校時代、生徒会でも副会長でした。のちに政治家になった同級生、世耕弘成という強力なリーダーが会長でしたので(笑)。
ただ、私がずっと大切にしてきたのは、30年前、アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校と連携しているグラッドストーン研究所──博士号を取得したての私を唯一受け入れてくれたところです──に初めて留学した際に学んだ「ビジョン・アンド・ワークハード」(VW)という考え方です。私が留学していた当時、多くの研究者や学生も聞いていたはずですが、このVWという考え方を教えてくれたロバート・マーレー先生が「覚えていたのはシンヤだけだ」と言われたくらい、私にとってまさに腑に落ちた、決定的な考え方でした。
ビジョンとは、短期の目標ではなくて、長期、10年、20年、50年後に何を成し遂げたいかということです。CiRAでも財団でもそれを全員で共有すべく心がけてきました。CiRAは代替わりしていますが、もちろんそのビジョンは引き継がれています。
それは何かというと、結局、「iPS細胞で病気をやっつける」ことなんです。けっして素晴らしい論文を書くことでも、研究費をたくさん獲得することでも、社会的に名声を得ることでもない。それらは全部、ビジョンを達成するための手段にすぎません。
たしかに、論文をたくさん書いたほうが信用力は高まります。もちろん研究費は潤沢なほうがいいに決まっています。そして、名声があれば、いろいろな機関や企業の方とお話しする時に話が早い。しかし、それらが重要なのは、ワークハードが可能になり、その結果ビジョンを達成しやすいからなのです。
あくまでビジョンは「iPS細胞を使って病気をやっつける」こと。そこだけはブレないように、折に触れては口に出して繰り返し、メディアの方にも話したりして、どんどん公にしてきました。
職員や研究員には、私から直接そのことを聞かなくても、CiRAや財団のビジョンが伝わるようにしています。組織の建物の中に、あちこちにそのビジョンは掲示されています。
ワークハードについては、そもそも日本人は一生懸命に何かに取り組むのが得意なので、ビジョンを共有・浸透させるほどのコミットメントは必要ありません。最近はワークハードと言うと、いさめられる風潮もありますが、マーレー先生もおっしゃっていたように、何かを成し遂げたいならば懸命な努力が欠かせません。
医学者にして複雑系の研究者、W・ロス・アシュビーの「多様性は、多様性によってしか制御できない」という考えに従うならば、現在の組織には多様性のマネジメントが不可欠であり、研究開発組織はなおさらです。CiRAや財団ではシステム的に対応するのか、それとも研究者の方々が自発的にコラボレーションするのでしょうか。
多種多様な人がいるだけでは、多様性の恩恵にはあずかれません。いろいろな人同士のコミュニケーションが増えることが大切です。
CiRA所長の時には、まず多種多様な人たちに来てもらうことを常々考えていました。たとえば外国の研究者に来てもらうため、公的な会議は英語で行ったり、全員への同報メールは必ず日英両方で書いたりしていました。さらには、大学以外の企業や民間の方にできるだけ来てもらおうと、製薬会社はもちろんのこと、銀行や証券会社、保険会社などにもお願いし、優秀な方に出向してもらっていました。
大学に外部の人が入ってきて一緒に働くとなると衝突も生まれますし、波風も立ちます。時にはやっかいな事態が生じることもあります。ですが、結局はそういうカオスから、大学の人間だけではできないようなことが生まれてくる。大変ですが、やってよかったなと思っています。
いろいろな人が混じり合うことで生まれてきた成果について、教えていただけますか。
CiRAや財団の寄付募集活動が、大学勤めの私たちだけではとうてい到達できないレベルまで広がっているのは、やはり外部の方々の知恵や発想、実行力あってのことです。
とりわけ企業の方々は、資金調達やマーケティング、組織運営など、大学の研究者にはない知見や経験を持っておられます。そうした方々と一緒に働くことで、CiRAや財団の運営が大きく改善されましたし、社会への情報発信も洗練されてきました。また、外国人の研究者が加わることで、研究の視点も広がりましたし、国際的なネットワークも強化されました。
一般の組織でも、失敗への寛容性や失敗に学ぶ仕組み、そのような文化が大事だといわれています。失敗に寛容な組織をつくるコツはありますか。
少なくとも研究者の場合、失敗なくして成功はありません。
25年くらい前、私が奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センターで自分の研究室を持った時、それまで自分だけの研究だったのがチームでの研究に変わって、どのように研究を進めていけばよいのかと非常に悩み苦しみました。
さまざまな本を読み漁りましたが、ほとんどの本はあまりピンと来ませんでした。それでも、ものすごく心に響いた本があります。経営コンサルタントのデイル・ドーテン氏が書いた『仕事は楽しいかね?』(英治出版)という本で、本当に励まされました。
「どんどん新しいことに挑戦しよう。挑戦して何が起こるか見てみよう。10の挑戦をしたら10個全部が失敗することもあるし、運がよければ1個、何かものすごい結果につながることもある。そういう挑戦をしない限り、失敗しない限り、成功はないんだ」という内容でした。
この本によると、たとえばコカ・コーラは、シロップ状の頭痛薬をソーダ水で割ってみたら非常においしくて、現在のコカ・コーラになったそうです。
リーバイ・ストラウスも最初からジーンズをつくっていたわけではなくて、カリフォルニアのゴールドラッシュで金鉱を掘りに来た人たちにテント用の丈夫な帆布を売るつもりでしたが、全然売れない。ただ、布そのものはものすごく丈夫なので、ズボンを試作したところ、これがウケて、やがてジーンズになった。
ドーテン氏の本には、このようにコカ・コーラやリーバイスのジーンズなど、当初考えていた通りにはいかなかったけれども、紆余曲折の末、大きな成功につながったという例がたくさん紹介されていて、私もiPS細胞──当時iPSという名前もまだなかったのですが──の研究をぜひやってみようと勇気付けられました。
失敗したということは、挑戦したということです。挑戦した結果、最初からうまくいけばよいですが、ほとんどの場合、うまくいかない。しかし、いままで見えなかったことが見えてきたり、気づかなかったことに気づいたりする。ですから、失敗と挑戦を非常に大切にしています。
総和以上の成果という考え方があります。具体的には、メンバー同士の相互作用によるプラスアルファを期待する考え方です。そのためにはメンバーの個性や特徴、ポテンシャルが発現される必要があります。
少なくとも、放ったらかしにしておいたほうが伸びる人と、ある程度方向性を示してあげたほうがよい人の2種類がいると思います。その際、見極めが必要です。
前者の人は、指示を出さずとも、みずから物事をどんどん進めていきますが、後者のように、能力はあっても最初の方向性だけは示したほうが実力を発揮できるという人も少なくありません。そういう人を同じように放任にすると、最後まで迷える羊になってしまうこともあります。ですから、チームメンバー一人ひとりをよく見て、長所や得意なことをわかってあげる必要があります。
先生はどちらのタイプですか。
私はもう完全に放っておかれるほうが好きでしたね(笑)。私たちのような研究開発組織の場合、同じマネジメントを一律に適用するのではなく、一人ひとりにふさわしい対応や環境が大切です。それが結果として、全体の創造性やパフォーマンスを高めることにつながるのではないでしょうか。



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