「なんとすごい人が出てきたんだろう」と。

 歌も素晴らしいが、それ以上に存在から弾き出されるただならぬ気配。

 これまでにこんなストレートな佇まいで、まっすぐテレビの画面に挑みかかる女性はいなかった。その顔のアップを今でも覚えている。

ご飯屋さんのテレビで見て思わず
「中島みゆきさんに会わせてください」

 その時私は次女の出産を控えていて産休中だった。と聞くと何かゆったりと日向ぼっこでもしていたかのように思われるかもしれないが、実はこの1975年、私は歌手活動に邁進するべく自分で事務所を開いた。マネージャーには、テレビ局勤務の女性をスカウトして引き抜いた。

 自分で事務所を立ち上げたのには理由がある。この年の春、1人目の娘が1歳9カ月の時に夫が刑務所から出てきた(編集部注/加藤登紀子は学生運動の闘士・藤本敏夫氏と獄中結婚している)。

 早速2人目に期待を寄せたが、なぜか流産してしまった。歌手活動も再開していて、彼との新婚生活もゆっくりできず、育児と家事と歌手業に身を粉にしている姿を見て、夫が言った。

「もう見てられないよ。両方やるのは無理だろう。どっちかに軸足を決めろ」

「そう言われたらやっぱり歌手かな」と私。家事をできるだけ人に任せて、仕事に専念するために事務所を作ったのだった。

 と、そのタイミングで私は再度妊娠したのだ。

 みんなは「アッ」と驚いたけれど、やっぱり私は嬉しくて、「ごめんなさい。両方やるわ!」と決めたのだった。

 そんなわけで、その時は事務所のスタッフとミーティングをして、近所のご飯屋さんで昼食をしていて、お店のテレビでみゆきさんを観たのだ。

 出産予定が12月だったので事実上は開店休業中の事務所だったけど、翌年のコンサートのスケジュールも決め、アルバムの計画も立てながらの産休中!

 そんな緊張感があったからか、私はテレビを観た瞬間に、じっとしていられず、スタッフに頼んでヤマハに電話をかけてもらった。

「中島みゆきさんに会わせてください」と。