一緒に食事をしている席で
「私に歌を作ってください」

 その頃、みゆきさんはまだ札幌に住んでいたので、ヤマハの人が東京に来たみゆきさんをわが家に案内してくれたのは11月。

 ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」が発売されたのは翌年4月だから、そのアルバムの方向を煮詰めている頃だったと思う。

 ギターをもってきてくれたみゆきさんが、「昨日できた歌、うたってもいいですか」と言って私の前でうたってくれた。それが「夜風の中から」という、胸の底に染みるあの歌だった。

 すべてが素晴らしく、まっすぐで無駄がない、ひっそりと静かな緊張感の中で向き合ったあの時間を、今も宝のように思い出す。

 別れ際に、「触ってもいいですか」と私の大きなお腹に嬉しそうにそっと手を置いていた姿が素敵だった。

 その中島みゆきさんが1978年に出した4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に収録された「わかれうた」が大ヒット。このアルバムにあった「世情」という歌を聞いて私はじっとしていられなくなり、再びみゆきさんに連絡をとった。

 そして、一緒に食事をしている席で、「何か私に歌を作ってくれませんか」とお願いしたのだった。

 それからしばらくすると、コンサートのステージの袖でみゆきさんが私を見ていたり、レコーディングのスタジオにそっと忍び込んでいたりすることがあった。そして届いた歌が「この空を飛べたら」だった。

「素晴らしい」とみんなで喜び、早速レコーディングの準備に入った。

 ヤマハの番組で2人でこの歌も収録し、フジテレビのヒットスタジオでも一緒に出演した。その後、みゆきさんはテレビにあまり出演しなくなったので、この映像は今ではとても貴重なものになっている。

極寒の地・北海道の風景を
私の原点に重ねたような歌

 それからどれほど時が過ぎたのか。

 みゆきさんが触ったお腹から生まれた娘はもう50歳。夫が残した農場をきりもりしながら、歌手を続けている。

 そして私は今も大切に「この空を飛べたら」をうたっている。