Photo:AI Generated/Chat GPT
今、私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。連載『日本を創った57人の経営者』の本稿では、「ピストル堤」の異名を取った西武グループの創業者・堤康次郎を取り上げる。戦前から戦後にかけての日本で、鉄道・都市・観光インフラの整備が破竹のスピードで進んだ背景には、彼を筆頭とする「型破りな経営者」の存在があった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
「強盗」と「ピストル」
壮絶なライバル争い
ダイヤモンド社から最も近い駅は、東京メトロの明治神宮前駅です。
かつては千代田線のみが通る駅でしたが、2008年に副都心線が開通。一気に5社7線による広域鉄道ネットワークが利用できるようになりました。
「便利になったな」と感じただけではありません。5社7線のうちの西武鉄道と東急電鉄が、車両の相互乗り入れを開始したという事実には、両社に横たわる「あの因縁」を知る身としては、なおさら感慨深いものがあったのです。
前回は、「強盗」と呼ばれた東急グループの五島慶太を取り上げました。五島が「強盗」なら、西武グループの創業者・堤康次郎に冠された異名は「ピストル堤」。これもまた、穏やかではない呼び名です。
「ピストル堤」という異名の由来には、幾つもの説が残されています。
会社乗っ取り事件で対立した右翼の大物に発砲されるが、首筋をかすめた銃弾に眉一つ動かさず相手をにらみ付けたその度胸に、右翼が感服・心酔したという逸話。あるいは、暴徒が日本刀などを手に屋敷へ押し掛けた際、康次郎がピストルで応戦したとか、逆にピストルを乱射しながら乱入する暴徒を、康次郎が柔道の腕で次々と投げ飛ばしたという荒唐無稽な武勇伝もあります。はたまた、女性とあらば手当たり次第に“撃ちまくった”から、という下世話な説もあります。
真偽のほどは定かではありませんが、これらのうわさが独り歩きすること自体が、堤康次郎という人物が、恐れられ、誇張され、伝説化されるほどの剛胆さと危うさを併せ持った存在だったことを物語っています。
そして「ピストル」と「強盗」の2人は、1950年代から60年代にかけて、箱根を舞台に壮絶な縄張り争いを繰り広げました。まさに、その物騒な異名にふさわしい激しい戦争でした。
しかし、この2人の異様な競争があったからこそ、戦前から戦後にかけての日本では、鉄道、都市、そして観光インフラの整備が、常識外れのスピードで前へ進んだ――そう見ることもできます。
堤が率いた西武もまた、戦後日本の文化を形作った重要な担い手でした。創業者のヤバ過ぎるパーソナリティーとは裏腹に、事業の成果が社会に深く浸透していく点は、東急とよく似ています。
西武グループは、沿線の都市開発にとどまらず、軽井沢や箱根といった観光地を切り開き、ゴルフ場やスキー場、プリンスホテルという一大ホテルチェーンを築き上げました。
さらに「セゾングループ」と呼ばれた流通部門では、西武百貨店、パルコ、ロフト、西友、無印良品、ファミリーマート、セゾンカードといった先進的な業態を次々と生み出し、日本の消費文化そのものを塗り替えていきます。
その背後には、女性関係に奔放過ぎたピストル堤が残した複雑な家庭関係、異母兄弟たちの確執と競争、そして避け難く訪れた「王国凋落」の物語がありました。
次ページでは、強盗慶太と繰り広げた「箱根山戦争」や、糞尿の処理が追い付かない終戦直後の東京で「西武電車で都民の糞尿を運ぶ」ことを決めた堤の“男気”、そして異母兄弟たちの時代に訪れた「王国の崩壊」について語っていきましょう。







