日本を創った57人の経営者写真:日本工業倶楽部/AI Generated/ChatGPT

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。連載『日本を創った57人の経営者』の本稿では、森村グループの始祖、森村市左衛門を取り上げる。高品質の製品を輸出し、世界を相手に商売をするという日本企業の生きる道を、明治の初めに示した人物だ。いわば「メイドインジャパン神話」の起点といえる存在だった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

日本型グローバル企業の
雛形をつくった男

 企業記事を書いていると、時々少し厄介な企業グループに出くわします。

 三菱、三井、住友なら話は早いんです。名前を出した瞬間に、読者は「ああ、あれか」と理解してくれます。ところが、ノリタケ、TOTO、NGK(旧日本ガイシ)、日本特殊陶業――これらの企業が、世界最大級のセラミックス企業集団である「森村グループ」という同じ系譜にあると説明しようとすると、どうしても一手間かかります。どこにも「森村」という名前が出てこないからです。

「そもそも森村市左衛門という創業者がいて……」と書き始めると、それだけで文字数を食う。正直に言えば、「せめて中核企業の一社くらいは“森村”と名乗ってくれ」と思ったことも、一度や二度ではありません。

 ただ、この「分かりにくさ」こそが、森村市左衛門という商人の本質をよく表しているのかもしれません。

「誰の会社か」より「何の会社か」を前に出し、世界に踏み出した――。日本型グローバル企業としての一つの原型をつくったともいえます。

 日本のグローバル企業というと、戦後のソニーやトヨタ自動車を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、日本人が「世界を相手に商売をする」という発想そのものは、はるか以前、明治の初めにすでに芽生えていました。その起点に立つ人物こそ、森村市左衛門です。

江戸の袋物商が抱いた危機感
「日本は奪われるだけの国になる」

 森村家は、江戸で印籠や巾着、たばこ入れなどを扱う袋物商でした。参勤交代で江戸に集まる武士たちにとって、袋物は国元への土産として重宝され、商売は比較的安定していたといいます。

 しかし幕末、状況は一変します。開国によって外国船が来航し、日本の金貨が不利な交換比率で海外へ流出していく。森村は、その光景に強い危機感を抱きました。

「ダイヤモンド」1955年7月臨時増刊号で、森村の次男である7代目市左衛門が、当時のことを語っています(『貿易で日本の小判を取り返す!明治の商人・森村市左衛門が「世界のノリタケ」を創るまで』)。

「“これは、どう見ても損だ。これでは、日本の小判はなくなってしまう”
 自分の銭もうけなどは少しも考えないで、何とかして不利なレートで国外に流出する小判を取り戻そうというのが、父が貿易に従事した動機であった」

 攘夷か開国かという思想論ではなく、日本を「富を奪われるだけの国」にさせないという思いから貿易業に乗り出すことを決めます。これは、商人としての極めて現実的な判断でした。

 森村は、政府の命を受けた官僚でも、国家資本を背景にした財閥でもありません。民間人として、しかも個人の意思で海を渡り、米国市場に拠点を構え、日本製品を売るという挑戦に踏み出しました。近代日本の資本主義が、初めて「内」から「外」を向いた瞬間だったといっていいでしょう。

 森村は異母弟の森村豊を米国へ送り出し、ニューヨークの真ん中で「モリムラ・ブラザース」という店を出して、日本製品を販売し、大成功を収めます。そして日本製品が売れることを確信すると、自ら製造に乗り出します。しかしただ輸出するだけでなく、「日本製品に対する信用」も合わせて売るのです。それが「メイドインジャパン」への信頼につながっていきます。どういうことか?次ページで詳しく説明します。