日本を創った57人の経営者写真:国立国会図書館/AI Generated/ChatGPT

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。『日本を創った57人の経営者』の本稿では、「真珠王」と呼ばれる御木本幸吉を取り上げる。「不屈の努力で真珠の養殖に世界で初めて成功した孤高の発明家」のように評されるが、一口に言うと、彼は「プロデューサー」であり、そのスケールと発想において同時代の日本のどんな経営者とも異なる、規格外の存在だった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

「真珠という物語」を世界に広めた
類いまれなる「プロデューサー」

「真珠王」と呼ばれる御木本幸吉。世界で初めて真珠の養殖に成功した人物として、教科書にも載っているほどの有名人です。

 天然真珠というのは古くから「宝石の女王」と呼ばれていました。1000個の貝の中に1粒あるかないかという極めて希少なもので、それ故に特権階級だけの宝物でした。

 世界中の商人は、その貴重な宝物を「どう仕入れ、どう売るか」に腐心していましたが、御木本だけは違いました。

「どう作るか」――つまり、自然の偶然を、人間の技術という必然に変えることに挑んだ人物です。

 それ故、御木本については「不屈の努力で真珠の養殖に世界で初めて成功した孤高の発明家」のように評されます。教科書にもそんなノリで紹介されているかと思います。

 しかし、これは半分しか正しくありません。

 真円真珠を技術的に完成させたのは、御木本の娘婿で東京帝国大学出身の西川藤吉と、歯科医から転じた桑原乙吉です。御木本が最初に取得した半円真珠の特許も、後の訴訟で「出願以前から公知の技術だった」として大審院に退けられています。

 では、御木本幸吉とは何者だったのか。

 一口に言うと、彼は「プロデューサー」でした。才能ある人間を見つけ、引き込み、その成果に最高の舞台を与える。そして、真珠そのものより「真珠という物語」を世界に売り込んだ人です。物語を持つ商品は価格競争に巻き込まれないという強みを最大限に生かしたわけです。

 さらには、生産の現場だけでなく、産地ごとブランド化し、真珠養殖発祥の島を「ミキモト真珠島」として観光地に仕立てました。真珠島に来た人は真珠を買う前に、御木本の苦闘と、海女の技と、産地の空気を体験する。その体験が「ミキモトの真珠を持つ意味」を作り出すのです。

 今日、私たちが「体験型マーケティング」「コンテンツツーリズム」「産業観光」と呼んでいるものは、御木本が明治から昭和初期にかけて実地で組み上げた設計図の焼き直しにほかなりません。

 そのスケールと発想において、御木本は同時代の日本のどんな経営者とも異なる、規格外の存在でした。

 次ページからは、御木本のプロデューサー気質はいかにして生まれ、育まれたのか。そして、いかに世間の話題をかっさらい、注目を浴びるかに懸ける驚くべき熱量と行動力に迫ります。お金を払って広告を打つより、記者が自発的に書きたくなるニュースを作るという独自のメディア戦略とその実践例は必読です。