「夜行新幹線」計画が
実現できなかった理由
そもそも夜行バスが普及するまで、「夜行」需要は鉄道の得意領域だった。座席のみの普通列車から個室を備える寝台特急まで、全国各地であらゆるニーズに応えた列車が走っていた。夜行バス(高速バス)にも走行距離1000キロを超える長距離路線は存在するが、車内で食事、就寝、身支度を済ませられる寝台特急は別格の存在だ。
そして、新幹線でも夜行列車が計画された時代があった。1975年に全線開業した山陽新幹線は当初、東京~博多間に7時間を要した。それまでの「常識」では夜行列車選好率が2割に達すると考えた国鉄は、同区間を10~11時間かけて走行する夜行新幹線を構想した。
しかし、夜行新幹線は実現しなかった。東海道新幹線の開業後、高速走行が設備に与えるダメージは想定以上で、夜間の保守作業時間帯を十分に確保する必要が生じたこと、運行本数の増加とともに沿線の騒音・振動公害が社会問題化したことで、夜行列車どころではなくなったのだ。
1975年7月に環境庁が定めた「公害対策基本法の新幹線鉄道騒音に係る基準」には「午前6時から午後12時までの間の新幹線鉄道騒音に適用するものとする」と定められている。夜行新幹線が実現していれば24時以降の基準も存在したのだろうが、その機会がないまま現在に至るため、24時以降の運転は事実上、不可能なのである(災害時などやむを得ない場合は除く)。
今年3月のダイヤ改正で、博多駅19時18分発・品川駅23時59分着の臨時「のぞみ206号」や、東京駅20時9分発・広島駅23時59分着の臨時「のぞみ215号」が新設されたことからも「門限」の存在が分かるだろう。ルミエールエクスプレスが岐阜羽島駅で24時から6時まで停車するのは、そういうわけだ。
この列車を「夜行新幹線」や「夜行列車」と報じたメディアもあったが、JR東海は深夜の騒音・振動を想起させる「夜行」という言葉は避けたいようだ。その結果の分かるようで分からないネーミングが「当日出発・翌朝到着」だ。
これまで述べてきたようにルミエールエクスプレスは、深夜に走行しない点で「夜行列車」とは言い難いが、その特性・意義は「夜行」の文脈でとらえる必要がある。
「夜行」の歴史的変遷についての、もうひとつ興味深い事例を紹介しよう。長距離夜行列車の衰退は航空機の大衆化など複数の要因があるが、そのひとつが安価で大量の部屋を供給するビジネスホテルの普及だ。
夜行新幹線構想を断念した国鉄は、代案として「主要新幹線駅所在都市にあるビジネスホテルの客室を、国鉄のマルス・システムに収容し、新幹線指定席とセットで発売」する「新幹線ビジネスエッグ」を開始した。ビジネスホテルに敗れた夜行新幹線が、ホテル宿泊料の高騰で「復活」したと考えると面白い。







