それは、大統領と議会が決める政策の効果を左右する「金利」という最重要政策を、選挙で選ばれていないメンバーからなる中央銀行が独立して決めていることだ。
FRB議長を指名するのは大統領だが、指名後は選挙で選ばれていない者が大統領すら無視して政策を進められることに、トランプ大統領は怒りを感じていた。自らは富豪でありながら「素朴な大衆感覚」に優れたトランプ大統領が、このことに大きな反発を感じていたのは自然なことだっただろう。
第二次トランプ政権では、この問題へのアプローチが大きく変わった。FRBを自分に従わせるのではなく、アメリカ経済におけるFRBの役割を縮小すべく動き始めたのである。
「政府国債」を買い支えたFRB
今では常識になっている「中央銀行の独立」は、中央銀行ができた当初から当然のルールだったわけではない。
第二次世界大戦中の1942年、FRBは米財務省の要請を受け、短期国債金利を0.375%に固定し、長期国債についても2.5%程度を上限とする政策を始めた。戦費を安く調達できるようにするためだった。
政府が大量の国債を発行して市場で売られれば、金利は上昇する。そこでFRBが国債を買い、金利上昇を抑えた。
この仕組みには大きな副作用があった。それは、FRBが政府の資金調達を優先するため、自らが必要だと思う金融政策を自由に行えなくなったことだった。国債価格を維持するために、インフレが悪化するとわかっていても国債を買い続けなければならなかったのである。
これはFRBにとって、大きなストレスとなった。
実際、戦後にインフレが急速に進み、1951年2月には物価上昇率が年率換算で21%に達した(消費者物価指数の月次上昇率を年率換算した値)。当時、国債購入が経済にもたらす副作用はあまりにも大きかったのである。
ここに至って、トルーマン政権とFRBが激突する。
その対立を解決したのが1951年の「財務省・FRB協定(Treasury-Fed Accord)」だった。この協定によって、財務省の国債管理とFRBの金融政策が切り離された。
結果的に、「政府は財政に責任を持つ」「FRBは物価に責任を持つ」「国債価格は市場に決めさせる」という現在の中央銀行制度の基本ルールがこのときに確立した。







